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喜雨来 一 野口 謙蔵(著) - サンライズ出版
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喜雨来 一 (キウライ イチ) 野口謙蔵日記 昭和13~14年 (ノグチケンゾウニッキ ショウワジュウサンカラジュウヨネン)

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四六判
422ページ
並製
価格 2,200円+税
ISBN
978-4-88325-830-7   COPY
ISBN 13
9784883258307   COPY
ISBN 10h
4-88325-830-0   COPY
ISBN 10
4883258300   COPY
出版者記号
88325   COPY
Cコード
C0095  
0:一般 0:単行本 95:日本文学、評論、随筆、その他
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
2024年9月21日
書店発売日
登録日
2024年9月4日
最終更新日
2024年10月8日
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紹介

  昭和十四年十月三十一日(火) 晴
  気もちがおちつかなく朝からねる。午後山へ写生に出る。
  一途な心がまだたりぬのだ。ゴッホの様に描かねばならぬ。
 油彩のダイナミックな筆致の風景画・静物画作品から、時に「鬼才」とも評される画家・野口謙蔵。東京美術学校卒業後は郷里の滋賀県蒲生郡桜川村(現・東近江市)に戻り、万葉集の時代から「蒲生野」と呼ばれたふるさとの風景・風物を題材とした作品を制作しつづけた。
 本書は、謙蔵が昭和13年から亡くなるまでの19年にかけて書いた日記のうち、13・14年分を収録。
 師事した和田英作、伯母と従姉にあたる野口小蘋・小蕙をはじめとする画家、近くに住む米田雄郎を通じた前田夕暮、水原秋桜子、種田山頭火ら、歌人・俳人との交流とともに、幼い長男の健康への気づかい、思うように描けないことへの苛立ちや自身への叱咤など、画家としての心情が率直に綴られている。

目次

はじめに
凡例
昭和十三年一月
昭和十三年二月
昭和十三年三月
昭和十三年四月
昭和十三年五月
昭和十三年六月
昭和十三年七月
昭和十三年八月
昭和十三年九月
昭和十三年十月
昭和十三年十一月
昭和十三年十二月
昭和十四年一月
昭和十四年二月
昭和十四年三月
昭和十四年四月
昭和十四年五月
昭和十四年六月
昭和十四年七月
昭和十四年八月
昭和十四年九月
昭和十四年十月
昭和十四年十一月
昭和十四年十二月
年譜

前書きなど

 野口謙蔵は、滋賀県の近代画壇を代表する洋画家の一人です。明治34(1901)年、滋賀県蒲生郡桜川村綺田(現・東近江市綺田町)にある野口家の次男に生まれ、幼いころから絵を描くことが得意でした。野口家は、代々甲府で醸造業「十一屋」を営む近江商人の家で、文化人でもあった祖父正忠は、富岡鉄斎や日根対山等の文人とも親交がありました。謙蔵の伯父正章は、妻に対山の弟子で南画家の野口(旧姓松村)小蘋を迎えています。こうした生家の文化的な豊かさが謙蔵の芸術的素養を高めたといえます。
 やがて画家を志した謙蔵は、大正8(1919)年に東京美術学校(現・東京芸術大学)西洋画科に入学。生涯の交友関係を築く和田英作に出会い、師事します。卒業後は桜川村に帰郷し、昭和8(1932)年には生家の近くにアトリエを建て、故郷蒲生野の地で創作活動をつづけました。
 一時は洋画での表現に悩み、平福百穂や野口小蘋の娘で従姉の野口小蕙に日本画を習いましたが、その後も洋画家として文展や洋画の研究団体東光会に作品を発表します。名実ともに滋賀県の画壇の中心人物でしたが、昭和18(1942)年冬に東京であった第6回新文展の審査会から帰京後病に倒れ、翌年の7月5日に43歳の若さで亡くなりました。
 戦後の混乱もあってか、没後しばらくその存在が忘れられていた謙蔵でしたが、昭和42(1967)年に京都国立近代美術館で開催された展覧会「異色の近代画家たち」にて改めてその存在が知られることとなり、以降様々な展覧会、研究によって彼の残した作品は再評価されています。
 令和6年は、謙蔵の没後80年にあたります。彼の業績をより多くの方々に知っていただくため、記念事業として本書を発刊しました。
 本書は、謙蔵が昭和13年から亡くなるまでの19年にかけて書いた日記のうち、13~14年分を掲載したものです。このころの謙蔵は、すでに文展で特選を3回受賞し、湖国の画壇を牽引する一人として精力的に活動しています。東光会の展覧会や講習会に参加し、急に声がかかった神戸での個展も、最初こそ驚いたものの「心気一転、やることに決心」(昭和14年6月2日)。広報のために慣れないあいさつ回りもするなど、画家としてさらに大きくなれるよう、向上心をもって活動していたことがうかがえます。一方で、過去の作品の拙さに嫌気がさしたり、思うように描けないことにいら立ったり、満足のいく絵がかけた日はほとんどありません。「つきつめた心で画をかゝねば駄目だ」(昭和13年6月24日)と何度も自らを鼓舞しています。
 このように、画道に対してしばしばストイックさを見せる謙蔵ですが、日記を読み進めていくにつれ、彼の画道は、むしろ絵のこと以外の経験によって作られたのではないかと思えます。
 歌を詠むきっかけを作った近くに住む歌人、米田雄郎との交流によって見せる歌人としての顔、長男彰一の健やかな成長を願う父としての顔、村の若者の出征を送り、戦死の知らせに胸を痛める村人としての顔、親戚を気にかけ、いろいろと世話をする近江商人野口家の本宅を預かる者としての顔──。桜川の自然や周りの人々によって培われた豊かな人間性こそが、現在も高く評価される謙蔵の情趣あふれる画風の根源といえるでしょう。
 本書のタイトル「喜雨来」は、謙蔵の絶筆となったクレヨン画からきています。日照り続きの村に久しぶりに降った雨を喜ぶ村人や動物たちを描いており、彼の集大成といえる作品です。作品から想起される、身近な命に慈愛のまなざしをむける謙蔵の姿は、日記の端々からもうかがうことができます。没後80年を迎えてなおみずみずしく響く謙蔵の言葉たちから、皆様の心の中に一文、一句でも息づくことができれば幸いです。
 本書の刊行にあたり、最初に日記の翻刻を行い、多くの助言をいただいた元東近江市職員の田中浩氏をはじめ、ご協力を賜った皆様に御礼申し上げます。

上記内容は本書刊行時のものです。