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在庫ステータス
取引情報
沙流川
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 1995年6月
- 書店発売日
- 1995年6月1日
- 登録日
- 2010年2月18日
- 最終更新日
- 2015年8月22日
紹介
21世紀へ残す本残る本
「現代アイヌの葛藤を描く」 川村 湊
カルチュラル・スタディーズとかポスト・コロニアリズムといった術語が文学研究の最前衛で語られているようだが、理論の先走りという現象は、ポスト・モダンやフェミニズムの理論の流行とあまり変わらないようだ。
文学研究は、あくまでも対象とする作品に寄り添って行うもので、理論は常に作品という「外部」によって検証されるべきだろう。カルチュラル・スタディーズ、あるいはポスト・コロニアリズムの研究としては日本文学にも恰好の対象がある。しかし、これまでの日本の文学研究の中で「彼」と「彼の作品」について言及したものを、ほとんど見たことがない。
「彼」の名前は鳩沢佐美夫、おそらく唯一「アイヌ民族」であることをカミングアウトした作家である。1935年、アイヌコタンである北海道の沙流川流域の二風谷に生まれた彼は、小説家を目指して『日高文芸』などの同人誌に小説や評論を書き続けた。それらの作品、「証しの空文」や「遠い足音」は、アイヌとして生まれた少年を主人公とした自伝的な小説作品であり、「アイヌ」であることと、「アイヌ」であることから抜け出そうとする逆方向の衝動に引き裂かれた「現代アイヌ」の精神的葛藤を描いたものだ。
「対談 アイヌ」は「とうとう二人だけになっちゃったな」というセリフから始まる。アイヌの女性と二人で対談を行うという形式の「作品」の中で、彼は観光アイヌとしてしか生き延びてゆけないアイヌの現状を鋭く告発しながら、「シャモ(和人)」によって精神文化までも収奪されようとしているアイヌ民族の危機を論じようとしている。もちろんそうした「シャモ」への告発は正当すぎるほど正当なのだが、「おんな(23歳)」として設定された対談相手は、そうした彼の告発の正当さを相対化し、それをいわば自己批評することによって、彼を日本人からも、そして告発するアイヌ民族からも孤立させ、孤独な思索者(文学者)へと追い詰めてゆくのである。
それまで石森延男の『コタンの口笛』や、武田泰淳の『森と湖のまつり』、あるいは更科源蔵の詩のように、アイヌ民族は「シャモ」の文学者によって「描かれる対象」でしかなかった。
自らを描こうとしたアイヌの表現看たち、パチェラー八重子や違星北斗は、ともすれば短歌という抒情の中にその「民族精神」を昇華させるか、謳いあげてしまった。鳩沢佐美夫はその散文作品によって日本列島の中のマイノリティーとしての「アイヌ民族」を本来の意味で“立ち上げて”みせたのである.彼の作品集は『コタンに死す』『若きアイヌの魂』の二冊が新人物往来社から出ている(現在絶板)。その二冊から代表的な作品を集めて編集しなおしたのが本書である.彼は1971年、36歳の若さで病死した。独身、無職だった。(かわむら・みなと=法政大学教授・文芸評論家)
■1999.09.04■産経新聞
目次
創 作
証しの空文
遠い足音
対 談 アイヌ
日 記
昭和31年(21歳)
昭和43年(33歳)
年 譜
上記内容は本書刊行時のものです。