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パステルナーク事件と戦後日本
ドクトルジバゴの受難と栄光
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2019年11月20日
- 書店発売日
- 2019年11月20日
- 登録日
- 2019年9月19日
- 最終更新日
- 2020年8月6日
紹介
かつて日本の文壇を揺るがした「パステルナーク事件」という騒動があった。それは、1958年度ノーベル文学賞がソ連の作家パステルナークに授与されたとの一報から始まった。
それから60年。日本の文学者・知識人たちが無自覚のうちに巻き込まれた、この忘れられた”協奏曲”の真実に、初めて本書が迫る。
目次
序 章 発端 ──1958年10月23日 9
第1章 祝福から迫害へ──1958年10月23日~11月6日 25
「文学的原子爆弾」? 唸る迫害マシン 「敗北の中の勝利」か?
第2章 「事件」前史 ──1956~58年 57
〝雪解け〟という追い風 運命の日──1957年5月 原稿、国外へ 不毛なる暗闘──ソ連vsイタリア
第3章 日本語版『ドクトル・ジバゴ』狂騒曲 79
翻訳まで──日本語版の不幸な出発 「2万部」から「23万部」へ 日本ペンクラブの奇妙な「申合せ」
第4章 糾弾者エドワード・サイデンステッカー 103
〝米・英・独連合〟の成立 「文化帝国主義者」サイデンステッカー 雨と雲と花と
第5章 「文士」と政治 ── 高見順(1) 127
高見順の怒り 「曖昧」の向こう側 文士、政治に近寄らず
第6章 「怖れ」と「美化」と──高見順(2) 149
文士もすなる政治 ソ連招待旅行──「人間に会いにゆく」 「怖れ」と「美化」と
第7章 「モスクワ芸術座」という事件 169
来た 観た 感動した! 浅利慶太の批判 「国禁芸術」と「国策芸術」
第8章 《害虫》のポリティクス 197
「おちつかない老年」再考 パステルナークという「雑草」 「屑」の英雄化における労働の役割
第9章 〝ワルプルギスの夜〟の闇 225
1948年8月、ソビエト農業科学アカデミー総会 〝旋風〟日本に上陸す 八杉龍一vs木原均
第10章 『真昼の暗黒』の来日 ──アーサー・ケストラー(1) 251
「ノー・モア・ポリティクス」を宣言 〝私は出席できません〟──ケストラー 〝最大の侮辱だ〟──高見順
第11章 「目に見えぬ文字」への道程 ──アーサー・ケストラー(2) 279
岐路における言葉 永遠の「党」──『真昼の暗黒』 汝、誠実さのかけらを有するならば──『目に見えぬ文字』
第12章 〝勝利〟の儀式?──第3回ソビエト作家大会(1) 301
〝詩人殺し〟のあとで 「新しい人間」とは誰か 『ドクトル・ジバゴ』はなぜ有罪か
第13章 クレムリン宮殿の中野重治 ──第3回ソビエト作家大会(2) 325
「くつろいでいられる国」 清潔な人、清潔な国 フルシチョフに屈する中野重治
終 章 「事件」の終わり ──かくて人びとは去り…… 355
〝辞退表明〟以後 ボリス・パステルナーク ニキータ・フルシチョフ 高見順 平林たい子
ジャンジャコモ・フェルトリネッリ アーサー・ケストラー エドワード・G・サイデンステッカー
補 遺 399
わが国メディアに現われた「パステルナーク事件」関連論評(1958~1967) 400
「パステルナーク事件」関連年表 405
跋 天上のことばを、地上にあって 工藤正廣 414
あとがき 425
*本書において引用したパステルナークの詩は工藤正廣氏の翻訳によった。
前書きなど
革命ロシアの神話や、「新しい人間」の誕生や、歴史的必然の理念が、なお、力をもっていた1950年代。ボリス・パステルナークは、ロシア文学のすぐれた伝統を受け継いだ小説『ドクトル・ジバゴ』を書いた。そして、それがソ連作家による初めてのノーベル賞を受賞するという栄光によって、逆に共産党政府による迫害と孤立に追い込まれる。この書の著者、陶山幾朗は、その後もロシアとともに生きたパステルナークに寄り添い、これらの経緯を、溢れる怒りを抑えた、冷静で情熱的な文体によって追跡している。
そればかりではない。戦後日本の文壇文学が、このパステルナーク事件に対してとった、あいまいな態度を、個々の作家たちの思想にまで踏み込み検証している。陶山はこれを書いた後、突然、病死したが、わたしたちは、この最期の書に接し、パステルナーク事件を忘却に任せてきた、現在の思想・文学の病巣の深さに愕然とするだろう。 北川 透(詩人・文芸評論家)
版元から一言
刊行までの経緯
陶山さんは、弊社で編集をお願いした『見るべきほどのことは見つ』(内村剛介著/2002年)の頃から、影法師のように少しずつ私の意識の中に入ってきました。その影は、内村氏の健康の衰えに比例して大きくなり、ついには本人をして「内村剛介のことは自分よりこの人に訊け」と言わしめるほどの存在となり、それが内村剛介著作集全七巻となって結実しました。編集者・陶山幾朗の渾身の仕事でした。
さて、『パステルナーク事件と戦後日本』です。本書は、誰もが事件を忘れてしまった60年後の今、突然炸裂した時限爆弾のような論考です。この一冊により、氏の名は稀有の思索家として記憶に残るでしょう。著者の本書への思いは隅々まで行き届いていて、判型から書体、文字組みまで、すべて著者の指示によります。ただ一点、表紙の問題だけが残っていました。そのことで、私は「一人暮らしで身軽」という氏の言葉に甘え、昨年11月6日に上京いただくようお願いしました。ところが氏は約束の場所についに現われませんでした。翌日思い切ってご自宅に連絡をしたところ、やはり胸騒ぎがして実家を訪ねたご子息から、2日に氏が逝去されていたことを知りました。思索家・陶山幾朗の更なる活躍を確信していた私は残念でなりませんが、案外、ご本人はにこにこと我々を見下ろしているような気もします。そういう方でした。
最後に、本書刊行に多大なるご協力をいただいたお2人のご子息・陶山礼様と荒木秀人様、帯文を書いて下さった北川透先生、様々なご配慮をいただいた成田昭男様に、深甚の感謝を申し上げます。
2019年11月2日 恵雅堂出版 麻田 恭一
上記内容は本書刊行時のものです。