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内村剛介ロングインタビュー
生き急ぎ、感じせく―私の二十世紀
- 出版社在庫情報
- 品切れ・重版未定
- 初版年月日
- 2008年5月
- 書店発売日
- 2008年5月1日
- 登録日
- 2010年2月18日
- 最終更新日
- 2015年12月10日
紹介
吉本隆明氏、激賞!「真正面からの問いと、深い共感が導き出した稀有な記録」
ソ連が死ぬか、俺が死ぬか。かつてスターリン獄に幽閉されてあったとき、自分一個の実存と全ソ連の存在を等置した青年は、壁の中で一人レーニン全集に読み耽る。本書は、十一年後帰国した彼が、その後いかにして独立的な思想者、ロシア学者として生成したか、ロシアと日本への深い愛憎の核心を語る。
少年時より渡満し、哈爾濱学院に学び、シベリア抑留を経て戦後日本を生き急ぐ日々の中で、遂にソ連崩壊を見届けるに至る内村剛介の歩んだ軌跡には、二十世紀という時代が負った痛切な軋みが反響している。
目次
深い共感が導き出した稀有な記録―吉本 隆明
【§1】紅い夕日にひかれて―〈少年大陸浪人〉満洲へ
はじめに/わが故郷、わがルーツ/単身満洲へ渡る/満鉄育成学校へ/転機―二つの出来事/芥川龍之介を読破
【§2】草の涯より湧く雲の―哈爾濱学院という空間
最初の授業/教師群像/「五族協和」という理念/ハルビン―最後のリベラル空間/ロシア革命の影/ロシア・フォークロアとの邂逅/マルクス主義との出会い/表現のリズム、思考のリズム/死にし子、顔よかりき
【§3】明治日本グランド・デザインの射程―「脱亜入欧」をめぐって
後藤構想と哈爾濱学院の命運/繰上げ卒業から関東軍へ/民情班での日々/司令部とともに敗走/捕虜する民族・ロシア/満洲国への視点/「脱亜」から「入亜」へ/ロシアという脅威/「坊ちゃん」の哀しみ
【§4】スターリン、燦惨(サンザン)たる無―「内村剛介」の胚胎
アウステルリッツのアンドレイ/平壤・一九四五年八月/釈放、そして再逮捕へ/「われわれの神経も労わってくれ」/アレクサンドロフスキー中央監獄/われ帰国を望まず/ソ連が死ぬか、俺が死ぬか/神は細部に宿る……/「名は体を現さず」/「内村剛介」の胚胎
【§5】帰国。ただし十一年後の―「内村剛介」の出発
「もっと優しい目付きをせんと……」/北条民雄の導き/松田道雄氏との邂逅 /「就職」という難事業/吉本隆明の『試行』へ参加
【§6】ジャパン/ロシアの軋む場所で?―ソルジェニーツィン、その他
安保闘争へのスタンス/ソ連論論争への視点/『生き急ぐ』はどう書かれたか/ソルジェニーツィンとの邂逅/ソルジェニーツィンへの違和/シニャフスキー、マクシーモフ、サハロフ/芸術家と権力者
【§7】ジャパン/ロシアの軋む場所で?―「オーブラズ」をめぐって
「美しい」の反対語は?/「オーブラズ」という概念/和辻哲郎の『面とペルソナ』/人称意識の曖昧さ/ロシアにおける「所有」/ディアローグなき弁証法/スターリンの二分法
【§8】ブラトノイ、あるいは「逃亡は美徳である」について
「ブラトノイ」とは誰か/エンクロージャーと階層分裂/ロシア膨張政策の陰で/逃亡は美徳である/「リュージ、おるか?」/はじめに異端ありき/個人的な体験/リハチョフに言いたいこと/ロシアの賢愚/ロシアン・マフィアの時代に
【§9】ジャック・ロッシのこと
「取り付くしまのない澄んだ目」/ア監獄での出会い/「エーマン救出」のこと/届いた一冊の本/『ラーゲリ註解事典』開始/東大和での日々/「ソ連崩壊」とロッシ/東西の対話
【§10】雪野来て松青きかな異人塚―近衛文隆の死
「父の息子」として/Yという男/イワノヴォでの出来事/帰国後のことなど/夫人による遺骨発掘
【§11】君も、われも、やがて身と魂が分かれよう……―最後のあいさつ
「書く」ことの不思議/哈爾濱学院と記念碑/「存在に理由なし」の衝撃/継承されない文化/「北帰行」への違和 /特高に逐われる/ふたたび母のこと/デモスの文法の呪縛/「生き急ぎ、また感じせく……」/ネクラーソフのこと/もうすぐ我々の書きものは読まれなくなる
あとがき(陶山幾朗)
内村剛介―年譜
前書きなど
深い共感が導き出した稀有な記録
吉本 隆明
この本は陶山幾朗がインタービュアとしてロシア文学者内村剛介に真正面から問いを発して、それにふさわしい真剣な答えを引き出すことに成功している稀有な書だ。周到な準備と確かなロシア学の知識・内村剛介への深い共感とが、おのずから彼の少年期からの自伝とロシア学者としての知識と見識の深い蓄積を導き出していて、わたしなどのような戦中に青少年期を過した者には完璧なものと思えた。わたしのような戦中派の青少年にとって日本国のロシア文学者といえば二葉亭四迷から内村剛介までで象徴するのが常であった。そして実際のロシアに対する知識としてあるのはトルストイ、ドストエフスキイ、ツルゲーネフ、チェホフのような超一流の文学者たちの作品のつまみ喰いと、太平洋戦争の敗北と同時にロシアと満洲国の国境線を突破してきた、ロシア軍の処行のうわさだった。中間にノモンハン事件と呼ばれるロシア軍と日本軍の衝突があったが、敗戦時のロシア軍の処行については、戦後になって木山捷平の作品『大陸の細道』が信ずるに足りるすぐれた実録を芸術化したものと思えた。あとは当時の新聞記事のほか何も伝えられなかったに等しい。
太平洋戦争の敗戦とともにロシアの強制収容所について文学者が体験を語っているものは、内村剛介が時として記す文章から推量するほかなかった。わたしはおなじ詩のグループに属していた詩人石原吉郎の重苦しい詩篇をよんでそんなに苦しいのならロシアの強制収容所の実体をはっきり書いてうっぷんをはらせばいいではないかと批判して、その後詩の集りに同席したことがあるが、お互いに一言も口をきかずに会を終えたことがあった。彼にはわたしの批判が浅薄に思えたのだろう。わたしは彼の晩年の二つの詩「北条」「足利」をよんだとき、はじめて石原の胸の内が少しく理解できるかもしれないと感じた。
陶山幾朗という無類の、いわば呼吸の出しいれまで合わせてくれるようなインタービュアを得て、この本は出来上っている。少し誇張ととられるかも知れないが、わたしには親鸞と晩年の優れた弟子唯円の共著といっていい記録『歎異抄』を思い浮べた。わたしなどには内村剛介が十一年のロシア強制収容所生活中だけでなく、帰国のあと現在にいたるまでロシア学についての専門的な研鑽を怠っていないことがわかって、たくさんの啓蒙をうけた。どうか健康であってもらいたいものだ。
わたしがこの本につけ加えることは何もないに等しいが、この本がふれていないことと言えば、後藤新平満鉄総裁のもとで副総裁であった中村是公は夏目漱石の大学時代の心を許した悪童仲間で、是公から新聞を発行して助けてくれないかといって訪れている。漱石は胃病が思わしくないと断っている。それならただ見て歩くだけでいいから遊びにこいといわれて『満韓ところどころ』の気ままな旅を是公のおぜん立てでたのしんだ。公的な集りには一切かかわらなかったが、南満各地に散らばった悪童仲間に会い、二葉亭の故地も訪れていることがわかる。漱石のこの旅は『趣味の遺伝』に尾をひき、強いて言えば小説『こころ』につながっている。
版元から一言
各紙で好評、紹介記事
「正論」11月号(鈴木肇)
「Voice」9月号書評欄「この著者にあいたい」5頁(陶山幾朗、仲俣暁生)、
「週刊文春」6月5日号書評欄(鹿島茂氏)、
「朝日新聞」6月5日文化欄(名古屋版)、
「読売新聞」6月29日書評欄(田中純氏)、
「週刊読書人」8月29日
「論座」8月号書評欄(白井聡氏)、
「諸君!」8月号書評欄(三浦小太郎氏)、
「東京新聞」7月5日コラム大波小波、
「図書新聞」7月5日、
「毎日新聞」7月6日書評欄(飯)、
「中日新聞」6月18日中部の文芸でとりあげ好評。
「週刊読書人」6月13日(大室幹雄)
上記内容は本書刊行時のものです。