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掩体壕を残すまちから 宇佐海軍航空隊を訪ねて
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 書店発売日
- 2023年4月30日
- 登録日
- 2023年3月28日
- 最終更新日
- 2023年5月8日
書評掲載情報
2023-05-20 | 西日本新聞 |
2023-05-14 |
大分合同新聞
評者: 磯田健 |
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紹介
私たちのまちも戦場だった──
大分県宇佐市のこれまでとこれから
戦時中、大分県宇佐市には宇佐海軍航空隊があった。この航空隊は真珠湾攻撃の搭乗員の養成を担うなど、「艦爆、艦攻のメッカ」として知られるが、時代とともに特攻基地へと変わっていく。この地から神風特別攻撃隊が出撃して154人もの人が亡くなったこと、また度重なる空襲で多くの人が亡くなったこと。これらの歴史を伝えるため、著者は長年平和活動に取り組んできた。
宇佐市には今も、空襲で敵機から飛行機を守るための格納庫である掩体壕をはじめ、多くの戦争遺構が残っている。戦争の歴史も風化が進む中、語り部としてこれら戦争遺構を保存することは、ますます重要になってくるだろう。戦争体験者から戦争を知らない世代へ、そしてさらにその子供たちへ。航空隊の歴史を通して、平和の大切さや命の尊さを語り伝える著者が「掩体壕の残るまち」から「掩体壕を残すまち」への遍歴を綴る。世代を超え地域を越えた、たくさんの人との出会いの記録。
目次
はじめに ─戦争を知らない子供たち第1世代から─
1 宇佐海軍航空隊との出会い
2 活動のテーマは「発掘」
3 「宇佐航空隊の世界」の催し
4 その他の活動と催し
5 保存と伝唱
6 宇佐海軍航空隊のあゆみとその特色
あとがき
参考文献他
年表
前書きなど
フォークソングの『戦争を知らない子供たち』を聞いた時の衝撃は、50年経った今もよく覚えています。「私たちは戦争を知らない子供たちだったのだ」と、改めて確認した気持ちでした。昭和23(1948)年生まれの私は、団塊の世代のまん中で、戦争を知らない子供たちの第1世代といえます。
子供の頃は、周りのほとんどの大人は戦争体験者でした。何かにつけて戦争の話が出て、聞くともなしに聞いていました。大学を出て宇佐に帰り、地域づくりの勉強会「豊の国宇佐市塾」の活動で宇佐海軍航空隊に出会いました。その歴史や遺構を訪ねてみると、今はのどかな田園風景の宇佐も戦争中には宇佐海軍航空隊があり、神風特別攻撃隊が出撃して154人もの人が亡くなったことや、度重なる空襲で多くの人が亡くなったことを知りました。「私のまちも戦場だった」のです。
戦後77年、戦争体験者の方はほとんどいなくなりました。これからは私たち戦争を知らない子供たち第1世代が、第2、第3世代へと語り伝えていく時代に入ったのだと思います。宇佐は多くの戦争遺構が残る、いわゆる「掩体壕の残るまち」です。しかし戦争の歴史も風化が進み体験者がいなくなる中で、これからは掩体壕などの「物」に語ってもらうことが必要となることでしょう。その語り部としての「物」を保存していくことが大切です。「掩体壕の残るまち」から、「掩体壕を残すまち」へ、です。
宇佐市は今も、戦争遺構の保存に積極的に取り組んでいます。このような市町村は、全国的に見ても少ないでしょう。宇佐海軍航空隊の歴史と遺構を通して、戦争を知らない子供第2世代、第3世代が、戦争の現実と平和の大切さを学んでくれることを願っています。この稿は、宇佐航空隊の歴史や遺構を訪ねた記録です。私のきわめて個人的な歩みですが、これが第2世代、第3世代への橋渡しになってくれたらと願っています。(「はじめに ―戦争を知らない子供たち第1世代から―」より)
上記内容は本書刊行時のものです。