書店員向け情報 HELP
出版者情報
取引情報
忘れられた作曲家テオドール・デュボワ
人類学から見たフランス近代音楽史
- 発売予定日
- 2024年9月6日
- 登録日
- 2024年7月30日
- 最終更新日
- 2024年8月1日
紹介
フォーレやラヴェルが新しい時代を切り開いた陰で忘れられていった作曲家テオドール・デュボワ、今再評価が進み再び歴史の表舞台へ
目次
まえがき
序 章 音楽史・音楽学・人類学 ― 西洋音楽史研究としての音楽人類学
1 音楽の自律性
2 心を動かす何か
3 音楽の人類学
4 音楽史と社会・文化史
5 人類学と歴史
第一章 ラヴェル事件再考 ― デュボワはパリ音楽院院長を解任されたのか
1 「事件」の概要
2 ラヴェルに対する評価
3 デュボワはなぜパリ音楽院院長を辞任したのか
4 ラヴェル事件の真相
5 混沌としたフランス近代の音楽状況
第二章 アカデミック音楽の巨匠 ― デュボワの生涯と音楽
1 子供時代、パリ音楽院入学、ローマ賞大賞受賞
2 パリ音楽院の教授、そして院長就任
3 当時の評価
4 音楽観
5 晩年、そしてデュボワの時代の終焉
6 再評価の動き
第三章 一九〇五年のパリ音楽院の改革 ― デュボワからフォーレへの院長交代で何が変わったか
1 教職員の給与と懲罰規定
2 高等教育参事会の拡大
3 入学審査委員会
4 対位法とフーガのクラス
5 声楽の改革
6 オペラなどの劇場音楽の位置づけ
7 音楽史の教育
8 アンサンブルの授業
第四章 一九〇五年のパリ音楽院の改革 ― その背景と「フォーレの改革」の真相
1 一八九二年の改革委員会でのダンディ案
2 一八九二年の改革委員会の最終提案
3 一九〇五年八月三日のコンクール授与式でのデュジャルダン=ボーメッツの演説
4 一九〇五年三月一四日『ル・タン』誌に発表されたラロの論考
5 技術と芸術─音楽教育の在り方の違い
6 古典を愛したデュボワ
7 デュボワの見たフォーレ
8 音楽史家たちの間違い
あとがき
引用文献
索 引
前書きなど
本書は、人類学から音楽学への挑戦である。人類学には音楽人類学という分野があり、主として民族音楽を対象に音楽を議論してきた。一方音楽学は、西洋音楽を対象に音楽に関する議論を展開してきた。そして音楽人類学は、非西洋音楽を探ることにより音楽学の捉える「音楽」に異議を唱えてきたのであり、その意味では、音楽学に絶えず挑戦してきたと言える。しかし本書でいう挑戦は、それとはニュアンスが違う。音楽人類学が音楽学の領域に入り込み、西洋音楽の歴史、つまり音楽史を論じようとする試みだからである。
本書で取り上げるのは、一九〇五年のフランスで起こった音楽にまつわる出来事である。一九〇五年はフランス近代音楽史の転換点であった。新しい音楽の旗手であったラヴェルが、ローマ賞コンクールの予選で落選するという出来事が起こったのをきっかけに、当時のパリ音楽院院長であったデュボワが解任され、後任にラヴェルの師であったフォーレが着任することになった。「ラヴェル事件」と呼ばれたこの一連の出来事に続いて、新院長フォーレは音楽院の改革に乗り出し、フランスはロマン派音楽から近代音楽へ脱皮していくことになった、というのがこれまで音楽学者によって描かれてきた歴史である。確かに、フォーレの音楽院院長就任をきっかけとして、フランス音楽は近代派への流れを加速していくことになる。しかし、ラヴェルがローマ賞に落選したことでなぜパリ音楽院の院長が解任されねばならないのだろうか? フォーレの改革と呼ばれてきた一九〇五年の音楽院の改革は、フォーレの院長就任とほぼ同時に発布された新法令に盛り込まれているが、着任したばかりのフォーレが新法令作成にどれだけ関与できたのであろうか? フォーレ一人がこうした改革を遂行したのだろうか? デュボワの院長時代とフォーレの院長時代では、音楽院の在り方がどう異なっていたのだろうか? などなど、これらの出来事を巡るこれまでの歴史記述に関して疑問がいくらでも湧き出てくる。
これらの疑問を解消するためには、当時の資料をつぶさに吟味していくしかない。人類学はフィールドワークを通して徹底的にデータを収集し、それらデータからその社会の仕組みや価値観などを描き出すという作業を行う。そして、実証的な民族誌的研究を歴史の一時点に適用することで、当時の社会の在り方を考察する歴史人類学という分野も存在している。こうした人類学的視点から、前述の疑問を解消すべく当時の資料を精査していったのが本書である。序章「音楽史・音楽学・人類学」では、まず、音楽人類学的な視点とはどういうものかを念頭に置きながら、音楽人類学が西洋音楽史を論じる有意性を論じている。第一章「ラヴェル事件」では、音楽学者たちによって描かれてきたこの歴史的出来事が再考され、デュボワはこの出来事によって音楽院の院長を解任されたのではないという事実を資料から導きだしている。第二章「アカデミック音楽の巨匠」では、ラヴェル事件によって保守的な悪役のレッテルを貼られたデュボワの、栄光の時代を経験するが晩年には忘却の淵に沈んでいったその生涯、音楽、そして音楽観などを論じた後、近年の再評価の動向を論じる。第三章と第四章では、「一九〇五年のパリ音楽院の改革」を取り上げる。第三章では、フォーレの院長就任と同時に発布された新法令に見られる音楽院の改革で、着任早々のフォーレが指導的役割を演じるのは難しかったと論じ、第四章では、一九〇五年の改革の背景にあった一八九二年の改革委員会での議論を取り上げると共に、評論家のピエール・ラロの考え方などをも考察することで、一九〇五年の「フォーレの改革」を再考する。
こうした作業を通して見えてきたことは、少なくとも一九〇五年のフランスで生じた音楽的出来事に関するこれまでの音楽史的議論は、資料によって確実に裏付けられてきたとは言い難いということである。ラヴェル事件に関して言えば、少しでも当時の新聞などに目を通せばデュボワは解任されたのではないということが分かったはずなのに、研究者たちはそれをせず、デュボワは解任されたと思い込んだ先達の議論をそのまま吟味もせずに引き継いで今日まで至っているのである。それは、フォーレの改革の議論においても同様である。そこでは、あまり根拠もなく、その改革が素晴らしいという前提にたったフォーレ賛美の議論が目立つが、当時の資料を詳細に検証すると、必ずしもそうではないということがわかってくる。つまり、資料に基づいた実証的な考察を加えると、音楽学者が描いた歴史とは少し異なった歴史が浮かび上がってくるというのが、本書の趣旨である。
上記内容は本書刊行時のものです。