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終わっていない、逃れられない
〈当事者たち〉の震災俳句と短歌を読む
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2024年9月30日
- 書店発売日
- 2024年10月15日
- 登録日
- 2024年9月9日
- 最終更新日
- 2024年10月15日
紹介
凄惨な出来事の「以後」を生きざるを得なくなった歌人や俳人たち――。その歌をささえるものはなにか?
平時に研鑽された〈よい歌〉を生み出す技法や基準が、災害時に機能しなくなったとき、俳人/歌人はどのように句や歌を詠むのか。
平時とは異なる状況におかれながらも、なぜ、句や歌を詠もうとするのか。句や歌を詠むことでどう〈被災〉を乗り越えようとしているのか。どのような言葉が生み出され、どのような思考が可能になったのか。〈被災〉時に歌を詠むことで何を訴えようとしたのか。
定型の表現を用いて俳人・歌人がどのように東日本大震災に対峙したのかを探る。付・震災歌集リスト/句集リスト。装画:金原寿浩「浪江の枝垂れ紅梅」。
忘れてしまったことすら忘れてしまう、私たちのための書。
【本書は、凄惨な出来事の「以後」を生きざるをえなくなった歌人や俳人に言及する。彼ら・彼女らは失った/失われつつある〈なにか〉と対峙しつづけている。彼ら・彼女らの「以後」の句や歌を支える〈なにか〉に関する本書の分析を通じて、この一三年間でなにが失われたのかを考察してもらえれば、幸いである。そこでの考察を基に、新たな震災「以後」の俳句や短歌が生まれれば、それに勝る喜びはない。】……「序章 東日本大震災は「普遍性」に回収できるのか」より
装画:金原寿浩「浪江の枝垂れ紅梅」
目次
序 章 東日本大震災は「普遍性」に回収できるのか
本書の目的/なぜ東日本大震災の特殊性に着眼するのか/東日本大震災は「当事者」だけが直面した問題か/失った感覚すら失ってしまう日常の前で
第一章 原発「事故」以後の問題とは何か
――東海正史『原発稼働の陰に』・佐藤祐禎『青白き光』
原発「事故」以後の問題とは/「以後」を生きさせられるということ/それでも原発と住む理由
第二章 「事故」以後の福島をどう捉えるか
――齋藤芳生『湖水の南』・市野ヒロ子『天気図』・駒田晶子『光のひび』
福島は「フクシマ」か?/見せたくないものばかりでも目に入る「以後」/福島の歴史のうえに「事故」があった/福島はいま福島に住んでいる人たちだけのものではない
第三章 警戒区域となったふるさとにどう関わるか
――三原由起子『ふるさとは赤』『土地に呼ばれる』
原発によって分断される〈ふるさと〉を詠む/誰かの傷をみながら、傷つき、詠うこと/型にはめられない多様さを詠う/あえて韻律をはずし、自分自身の「形」を作っていく
第四章 「事故」以後の福島に住むということ
――五十嵐進『雪を耕す』・澤正宏『終わりなきオブセッション』
『駱駝の瘤:通信』という文芸同人誌/曾根毅『花修』との比較から考える/「業界」を越境して考える/「土地の叫び」を聞いてきたのか/短歌が「歌集」になることの可能性
第五章 福島をどう語るか
――夏石番矢『ブラックカード』・中村晋『むずかしい平凡』・本田一弘『磐梯』『あらがね』
「フクシマ」は蔑称か?/「見えない」ものを詠まざるを得ない原発「事故」以後/〈被災地〉を語る言葉はどこから来ているか/言葉を鍛える必要性
第六章 「文学」は隠蔽する
――永瀬十悟『三日月湖』・小野智美編『女川一中生の句 あの日から』
誰が「事故」を引き起こしたのか?/絶望を「希望」で覆い隠す/「文学」にとって書く必要のないこと
第七章 東日本大震災は終わっていない
――逢坂みずき『まぶしい海』・梶原さい子『リアス/椿』・近江瞬『飛び散れ、水たち』・照井翠『龍宮』
「震災以後」を生きるということ/被災者にしか、住む者にしか、わからないこと/その鈍感さが〈忘れてもいい〉という言葉を呼び込む/死者が〈普通〉ではいさせない/震災に「関わってしまう」こと
終 章 忘れたふりをする人たちのために
「当事者」だけが死者に脅かされているのではないか?/選び取られた理由を探る―「原発忌」と「福島忌」について―/俳誌『浜通り』と〈フクシマ忌〉/〈フクシマ〉の表現を更新するために
あとがきに代えて
■資料
震災歌集リスト
震災句集リスト
上記内容は本書刊行時のものです。