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新版 史伝 明石掃部
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2023年12月13日
- 書店発売日
- 2023年12月20日
- 登録日
- 2023年11月22日
- 最終更新日
- 2023年12月20日
紹介
キリシタン武将として高名な明石掃部全登。謎の多い明石掃部(あかしかもん)の実像に迫る。
一、掃部はいつ生まれたのか?
二、掃部の実名は何か?
三、「全登」の正しい読みは?
四、黒田家に仕官した後、蟄居になった理由は?
五、掃部は大坂の陣で討ち死にしたのか?
六、関ヶ原合戦で宇喜多家が使った軍旗の図柄は?
宇喜多秀家に仕え、家中騒動の後、仕置家老となるが、関ヶ原合戦で敗軍。
「大坂の陣」ではキリシタン武士団を率いて戦うが敗北。しかし、その最期は定かではない。
筆者は、これらの謎解きに挑戦しつつ、明石掃部の生き様の復元を試みる。
目次
はじめに
第一章 明石氏の系譜
第二章 戦国の終焉
第三章 明石掃部の登場
第四章 キリスト教入信
第五章 宇喜多家内訌
第六章 関ヶ原合戦
第七章 筑前での十年
第八章 大坂の陣
第九章 戦いのあと
おわりに
参考史料 引用史料および参考文献
明石掃部関連年表
あとがき
前書きなど
(「はじめに」より抜粋)
明石掃部についてほとんど語られることがなかった。
徳川幕府は大坂陣の残党の追捕を全国に発令したが、三年ほどで取り締まりは緩和され、有名無実なものとなっていった。しかし、家康は、キリシタンの頭目・明石掃部に対して憎しみを募らせ、掃部追捕を全国に発令したので、家康死後も、明石探索がいつまでも続行された。その結果、掃部の二人の息子は捕縛され、命を落とすことになる。こうして子孫は絶え、その上、主家の宇喜多家も滅亡したため、明石掃部に関わる文書のほとんどが破棄散逸されてしまい、現存する一次史料やそれに準ずる史料はとても少ない。
今日、掃部の生涯に謎の部分が多いのは、これが主因である。
明石掃部に関して十分に解明されていない事柄は、未だに数多く存在する。筆者は、これらの疑問点に対しての謎解きに挑戦しつつ、明石掃部の生き様の復元を試みようと思う。
上記内容は本書刊行時のものです。