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帝国主義の闇に挑む
現代に蘇る幸徳秋水の思想と魂
- 初版年月日
- 2024年7月25日
- 発売予定日
- 2024年7月18日
- 登録日
- 2024年6月19日
- 最終更新日
- 2024年7月12日
紹介
明治期にレーニンに先駆け帝国主義の本質を明らかにし『二〇世紀の怪物:帝国主義』を刊行し、大逆事件に散った思想家・革命家、幸徳秋水。その論考と行動を、新たな帝国主義による戦争と激動の危機が迫る現代に蘇らせ、民主化革命思想・運動の形成を目指す。
目次
序
第一章 「二〇世紀の怪物:帝国主義」――幸徳が生き活躍した明治という時代
西洋近代の波濤と明治維新
皇国体制下の「国民国家」形成
産業技術と資本主義の発達
帝国主義国家への途
第二章 「余が思想の変化」――幸徳の思想形成と活動の軌跡
中江兆民との出会い
反帝国主義と非戦
社会民主党と社会主義
思想の変化
平民社の人々と大逆事件
第三章 「革命来」・「戦争来」――革命と帝国主義戦争
革命史と独裁
ロシア革命とインターナショナル
ローザと幸徳
アジア侵略と社会主義の迷走
二・二六事件と聖戦イデオロギー
北一輝と幸徳
幻の第二維新民主化革命
第四章 「世界人民」、「新しい唯物論」、そして「死刑の前」に――二一世紀の超怪物:ネオ帝国主義
世界戦・冷戦・グローバル資本
地球を破壊する帝国主義
大逆事件から一〇〇年後の現在
未来へ、思想の再構築を
結
関連図書
略年譜
前書きなど
はじめに
(…前略…)
日本でも一九世紀中頃に、イギリスの革命に二世紀近く遅れて、名誉革命と類似した明治維新民主化革命(革命的クーデター)が勃発し、類似の体制が生成した。この革命を主導した薩長の藩士達は、「万世一系天皇」に統合的権威・権力を担わせ、自らが執政権力を掌握し、西洋近代化の政治を遂行していった。後にかれらは自由民権運動に促され明治憲法を制定し、イギリス同様の立憲君主制政体をとるように思われた。しかしかれら藩閥政府は絶対的天皇制に依拠し、ドイツの中央集権的な政治を模範にするに及び、民主的な政党政治はしだいに後退し、国家主義的専制と帝国主義的覇権の政治へと大きくシフトしていった。
本書の「主人公」となる革命思想家幸徳秋水は、このちょうど時代の変わり目に現れ、平民社を設立し活躍した。幸徳は当時すでにレーニンに先駆け帝国主義の本質、すなわちレーニンが等閑視した旧来の膨張主義的な帝国主義の闇(病)を明らかにし、同時に近代以降の金融植民地帝国主義をも批判的に論考していた。そして彼は当時の帝国主義を「二〇世紀の怪物:帝国主義」と総称し、同志達とともに反帝国主義および社会民主主義的な運動を展開した。なお前述の「二一世紀の超怪物:帝国主義」とは幸徳のかかる帝国主義の命名に因んで、ソ連・ロシアをはじめ、戦前の日本帝国と瓜二つとなっていく「社会主義帝国」の姿に核の脅威を重ね合わせ、著者がつけた総称である。それは近代から現代に及ぶ世界帝国主義の不条理と危機のグレードアップした実像を言い表している。ともあれ帝国主義の本質を見抜いた、当時の幸徳の卓越した観察と批評の「慧眼」は現代の混迷を生きる我々の道標となるであろう。本書は、世界に燦然と輝くかかる幸徳の「智慧」と「功績」を受けて、さらにその学習と批判的検証を通して、現代版:反帝国主義-社会民主主義の民主化革命思想・運動を形成していくことを目的にしている。
ところで戦後の日本は、戦前の軍国主義体制を否定し、多くの制約を抱えながらも社会をラジカルに民主化させた。だがそれはもっぱら他力(米国)による「成果」であり、当時の日本政府が主体的になしえたことはむしろ旧態依然の天皇制に執着することぐらいしかなかった。そのため戦後から現代に及ぶ日本の国家体制は、米軍の極東戦略と天皇制による複合的な支配の下、しだいに民主化の衰退と全体主義化を同時的に進行させていった。だがもしこの民主化が「他力」ではなく「自力」革命によって成し遂げられていたならば、決してこのような逆行的な社会は現前しなかったのではないか。ましてや戦前に民主化革命が実現していたならば、アジア・太平洋戦争自体を防ぐことさえできたであろう。しかし戦前の絶対天皇制帝国下にあって、果たして反体制的な勢力による民主化革命が成就可能であったろうか。「奇想天外」との揶揄を承知で、あえて「可能であった」というのが本書の答えである。著者の歴史的検証と考証によれば、当時とりわけ二〇世紀の初頭から三〇年代にかけて「第二維新民主化革命」の実現は夢物語ではなかった。本書の目的にかなう最大のテーマはしたがって、この幻の民主化革命を明らかにし、なおも仮説・想像・推論の言語の特権をフルに活用し、その成就の可能性と意義を問うことにある。
(…中略…)
さて本書は「前著」の続編であり、世界の〈国家・資本・革命〉に関する俯瞰・論考の中心が、「世界」史から「日本」史へとシフトされている。とはいえ私がこれまで署名したすべてのテクストはジャンルを超えシリーズをなし、しかもそのすべてに一貫した私の「身体」を軸にした「主体」性の哲学が織り込まれている。なおこの点については戦後日本の「主体性論争」に関する私の論考で明らかにした。そこでは犠牲精神・教条主義に依らない、実存と社会の蝶番として重要な役割を担う、しかし国家によって制約された「身体」が最大のメルクマールとなった。ただ私の身体論は、土着的な東洋的身体思想とフォイエルバッハ由来のマルクスの「社会的身体」論とが多次元的に絡み合う哲学・思想によって成立しており、ゆえに福沢や中江にも見られた東洋唯物論的な思想と共振し、しかし何よりも幸徳の国家を超える未完の「新しい唯物論」に最大限共鳴した。それには集権的な関係性や組織を拒否し、いかなる国家(社会)主義にも追随しない唯物的、脱国家的な民主化の思想と魂が貫かれていたからである。宗教的観念を払拭し、しかし唯物主義にも陥ることのない幸徳の思想・哲学には、東西思想を止揚する身体への自覚があった。民主化(革命)遂行のためには、この彼の自由な革命思想をその発展・補完・更新・再構築を通して現代に蘇らせる必要がある。
上記内容は本書刊行時のものです。