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ある地方高校生の日記 一九五〇~一九五三 秋浜悟史(著) - 松本工房
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ある地方高校生の日記 一九五〇~一九五三 (アルチホウコウコウセイノニッキ イチキュウゴゼロカライチキュウゴサン)

文芸
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発行:松本工房
A5判
縦216mm 横154mm 厚さ26mm
重さ 495g
320ページ
仮フランス装
価格 3,600円+税
ISBN
978-4-910067-24-7   COPY
ISBN 13
9784910067247   COPY
ISBN 10h
4-910067-24-8   COPY
ISBN 10
4910067248   COPY
出版者記号
910067   COPY
Cコード
C0095  
0:一般 0:単行本 95:日本文学、評論、随筆、その他
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
2024年11月15日
書店発売日
登録日
2024年9月8日
最終更新日
2024年11月14日
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書評掲載情報

2024-12-09 毎日新聞    夕刊
評者: 関雄輔
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紹介

石川啄木を継ぐ才と謳われた岩手県渋民村出身の秋浜悟史(1934–2005)──劇作家・演出家、そして演劇教育者として多大な功績を残し、演劇界の巨星としてその名を知られている。本書は、その所在が長らく未見となっていた、岩手高校時代に秋浜が綴った貴重な日記である。戦争の影を引きずる中、詩作に耽り、映画に没頭し、演劇に音楽に、そして、酒と恋に身を焦がした瑞々しい青春譜が、70年の時を経てここに蘇る。

目次

「ある地方高校生の日記 一九五〇~一九五三」

 一九五〇年(昭和二五) 
 一九五一年(昭和二六) 
 一九五二年(昭和二七) 
 一九五三年(昭和二八)
 注

「寄稿」

 いのうえひでのり
 大石時雄
 秋津シズ子
 岩崎正裕
 橋本じゅん
 古田新太
 高田聖子
 須川 渡
 内藤裕敬

「年譜」

 年譜作成にあたって
 秋浜悟史 年譜
 参考・引用文献一覧

附記
後記

前書きなど

青春、それは沈黙のうちに閉ざされたままでよいはずがない。
歌う勇気を持たねばならぬ。
手を空にかざし、再び、眩暈の記録をはじめよう。
(日記の冒頭)

版元から一言

「劇団☆新感線」のいのうえひでのりや古田新太、「南河内万歳一座」の内藤裕敬らが師と仰ぐ、劇作家・演出家であり、演劇教育者としても多大な功績を残した演劇界の巨星、秋浜悟史。本書は、そんな秋浜が高校生時代に綴った日記を収録したものである。そこには、膨大な読書や映画鑑賞、詩作に没頭する様子が描かれ、友と酒を酌み交わし、文学論を戦わせ、そして恋に身を焦がす独白が記されている。およそ高校生が綴ったとは思えない、炎のような情熱と氷のような理性が交錯した驚異の文章は、時代や世代を超えて読む者の心を捉えるだろう。
また、著者の薫陶を受けた9名の寄稿文からは、教育者としての側面だけでなく、豪放磊落で人情味があり、ユーモアに富んだ著者の人間性が浮かび上がる。
加えて、50ページに及ぶ年譜は、秋浜の生涯を本人および関係者の著述、親類縁者への聞き取り、各種媒体に発表された秋浜本人や演劇に関する文章を引用しながら構成された、圧巻のバイオグラフィーとなっている。

著者プロフィール

秋浜悟史  (アキハマサトシ)  (

1934年(昭和9)3月20日、岩手県岩手郡渋民村(現・盛岡市渋民)に生まれる。47年、中高一貫の私立岩手中学校・高等学校に入学。54年、早稲田大学第一文学部演劇専修に入学。早大劇団・自由舞台に入団し、劇作や演出を担当。56年、『英雄たち』を「新劇」(白水社)に発表。58年、岩波映画製作所に入社し、羽仁進や東陽一、後に清水邦夫、田原総一朗などと共に活動。66年、退社し、以前より作・演出として関わっていたNHK俳優養成所出身者による劇団三十人会の活動に専念、のちに劇団代表となる。67年、『ほらんばか』の劇作ならびに演出により、第1回紀伊國屋演劇賞を受賞。故郷岩手の言葉から生み出される詩と音楽と狂気とを織り混ぜ、時代を凝視する作品を次々と発表。69年、『幼児たちの後の祭り』に至るまでの諸作品の成果により、第14回岸田國士戯曲賞を受賞。73年の劇団三十人会解散以降、活動の比重を徐々に東京から関西に移す。
1979年、大阪芸術大学舞台芸術学科講師に着任(87年教授、96年学科長、97年大阪芸術大学大学院芸術制作研究科の指導教官)。同年、滋賀県の知的障害者施設「あざみ・もみじ寮」第1回寮生劇発表会『ロビンフッドの冒険の冒険』の台本・演出を担当。以降、5年ごとに公演を重ねていった。83年、兵庫県立尼崎青少年創造劇場が、ピッコロ演劇学校を開設し、講師に着任。85年、公立高校では当時、全国唯一の演劇科を持つ兵庫県立宝塚北高等学校が開校し、講師および演劇科長に着任。様々な教育の場で、のちに演劇界の第一線で活躍する多くの劇作家、演出家、俳優のほか、舞台制作者やスタッフ並びに、教育従事者、研究者を指導・育成した。また、OMS戯曲賞等の選考委員を長年務め、関西出身の劇作家育成に尽力した。94年、兵庫県立ピッコロ劇団が発足し、劇団代表を務める。98年、同劇団公演『私の夢は舞う─會津八一博士の恋─』(作:清水邦夫、演出:秋浜悟史)が、第52回文化庁芸術祭賞〈演劇部門〉優秀賞受賞。同作と『風の中の街』(作:別役実、演出:藤原新平)にて、第32回紀伊國屋演劇賞団体賞を受賞。04年、ピッコロ演劇学校参与(演劇教育アドバイザー)を残し、すべての役職から退任。
2005年7月27日、チェーホフに関する書籍を求めた京都の古書店からの帰途、奈良の自宅前でタクシーを降りる際バランスを崩し転倒。頭部を打撲。31日、脳挫傷にて死去。享年71歳(満)。

上記内容は本書刊行時のものです。