出版社が先か、作家が先か?
はじめまして、ひとり出版社・代わりに読む人の友田とんです。会社員として働きながら2019年に創業し、「可笑しさで世界をすこしだけ拡げる」をモットーにユーモアのある文芸書を刊行してきました。
5年間の刊行点数は6冊、来月に7冊目の書籍『先人は遅れてくる』
を刊行予定です。はじめての版元日誌ですので、代わりに読む人と私・友田とんのこれまでの活動について書かせていただこうと思います。読んだ方々の参考になれば幸いです。
プロフィールに「作家・編集者」などと書いていますが、作家として何かしらの(新人)賞をいただいたことはありませんし、編集の仕事に携わっていたわけでも、出版社に勤めていたわけありません。今でも、代わりに読む人が果たして出版社(法人ではないので、正確には出版社ではありませんが)と呼びうるものか、あるいは私が作家や編集者であるのかと問われると、疑問が浮かびます。ただ、まがりなりにも書籍を刊行して書店に流通し、またいくつかの媒体でエッセイや小説を書く機会を得ていますので、便宜上、作家・編集者、出版社代表であると仮定した上で、どのようにしてこういう状況に至ったかを書きたいと思います。
遡ること十一年、IT企業で研究開発の仕事をしていた私は、ある日街で熱狂する群衆に遭遇しました。そして、そうした熱狂にうまく乗ることのできなかった私は、ふと世界に不足しているのは熱狂ではなく、ユーモアなのではないかと思い至りました。以来、とにかく素振りをするように自分にユーモアを課してエッセイを書き続けていた私に、ある日突然『『百年の孤独』を代わりに読む』という書名が降ってきました。4年掛けて書いたその文章を1冊の本にまとめたのが2018年の春のことです。当時は、何とかして小説家になりたいと考えていた私は、新人賞を取ってデビューすることしかイメージしていませんでしたから、自分で本にするという考えを元々はまったく持っていませんでしたが、本にしてみると、意外なほどの反響があり、それで興が乗って全国の本屋さんに営業してまわりました。
ところが、営業してまわり、通販や、行商して手売りなどもしたのですが、しばしば地元では手に入らないという声が届きました。仕入れたいけれど直取引は難しいという意見もチェーン書店の書店員さんからもいただきました。そこで、次に作る本からは皆さんが手に入れやすくなるように流通させたいと考えました。当時店頭で取り扱ってもらっていた蔵前のH.A.Bookstoreの松井さんを訪ねて相談に乗ってもらい、出版社コードを取り、H.A.B・八木書店経由で取次流通してもらうことにしました。記憶が定かではないのですが、この時点でも、出版社をやろうという気にはなっていなかったように思います。単に自分の本を手に取ってもらいやすくするためでした。
ただ、『パリのガイドブックで東京の町を闊歩する』
という自著を作って、流通させていく間に、わかしょ文庫さんという書き手と出会い、また多くの素晴らしい作品を書く人々の存在を知って、もっと広く読まれてほしい人々の本を作りたいという気持ちが高まるにつれて、ようやく人の本を出す出版社として活動をしていこうという決心が固まったように思います。むしろ、出版活動としてはここから本当の勉強と努力が始まりました。自分自身の著書であれば少々の失敗もあきらめられますが、人の作品を預かる以上、中途半端なものは作れません。けれど、私には出版社での編集の経験もありません。そこで、偶然知り合った校正者さんや、書店で手に取って素敵だなと思った本の装幀をされていたデザイナーさんなどのプロの仕事をしている人たちに手紙を書き、力を借りて、いろいろなことを教わりながら本を作るようになりました。他の出版社の方や、取引のある書店主、書店員さんから教わることも多々あります。印刷会社さんに教わったこともたくさんあります。それは2022年から出版を始めた文芸雑誌『代わりに読む人』の寄稿者についても同じことが言えます。ぜひ書いたほしいという人に、その気持ちをメールや手紙にして伝えます。そうしてその依頼に応えてくださった人たちによって代わりに読む人の書籍は出来ています。編集だけでなく、発送や経理、営業やPRも基本的には一人でやっています。PRこそ版元の仕事だとは思うのですが、制作メンバーや著者が協力してくださり、とても助かっています。業界未経験の私はこうして本を作ってきました。これぞ本当のOJT(On the job training)だなと思います。
ただ、この活動を続けるうちに思い出したことがありました。小学生の頃から、興味を持ったことがあれば、その面白さを文章にまとめるというだけではなく、場合によっては友人を巻き込んで紙面の形にしてミニコミ誌のような冊子を作り刷って配っていたことです。だから、純粋に文章を書く作家を目指すよりも、それを編んで作って配ってみるところまで一気通貫して取り組む今の立ち位置の方が自然に感じられ、性に合っていた。それは三十年も昔からずっとやってきたやり方だったということです。営業職には就いたことはなかったのですが、高校生の時に作っていたテレビ番組についての冊子を地元・京都の三条河原町にあった駸々堂書店にFAX(!)でご案内し、担当の方にアポイントメントを取って営業活動したことを思い出しました(その時は取引には至りませんでしたが……)。こうして、自分の経歴を見直し、実は今取り組んでいることが、形が異なるだけで、これまでもずっと好きでやってきていたことなのだと捉え直すことが、他者からの評価以上に活動を精神的に支えてくれているように思います。こうした気付きは、個人出版レーベル・十七時退勤社の笠井瑠美子さんが2022年に『製本と編集者』という冊子で聞き書きをしてくださった際に、過去を振り返って得られたもので、とてもありがたかったです。 1年間掛けてWEB連載してもらったわかしょ文庫さんの『うろん紀行』が完成し、多くの方に手に取ってもらえた2021年の秋に、この方向でやっていけるのではないかと感じた私は、それまで勤務してきたIT企業を退職し、出版社に注力していくことにしました。その後、小説家の佐川恭一さんの小説集『アドルムコ会全史』や、文芸雑誌『代わりに読む人0 創刊準備号』、『代わりに読む人1 創刊号』を刊行しました。版元ドットコムに加入したのもちょうどこのタイミングです。
最初の自主制作書籍を完成させてから六年、出版者コードを取得してから五年、自分の版元ではないところでもエッセイや小説を書く機会にも恵まれて、エッセイ・小説集『ナンセンスな問い』(エイチアンドエスカンパニー)、対談集『ふたりのアフタースクール』(双子のライオン堂、太田靖久氏との共著)を出すことができました。
さて、最初に掲げた問いです。出版社が先だったのか、作家が先だったのか。これは言うまでもなくどちらでもありません。しかしどちらにもキャリアのなかった者が、人の助けを借りながら、両方の取り組みを小さく続けることによって、それぞれのスタートライン(らしきもの)には立てたということが、一時は門戸は閉ざされていると思っていた私にとっては非常に重要なことであり、希望がある話であると思います。
最近は活動を通じて、新しく出会う人、一緒に仕事してくださる方も増えて、またそうしたことを通じて、興味や関心が拡がり、深く掘り下げたいテーマも明確になってきました。これも最近気付いたことですが、元が研究者だったこともあり、代わりに読む人は研究所的になってきていると感じています。元は文芸書を出す出版社と決めてスタートしたのですが、理系と文芸を架橋することも私の取り組める手間であると思っています。まだ誰も真剣に取り組んでいない問いにユーモアを携えて取り組んでいきたいと思っています。ユーモアを手にしているからこそ、深く掘り下げられるテーマがあるはずです。どこかで「代わりに読む人」の本を見かけたら、ぜひ手に取っていただけたらうれしいです。