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人と人、本と本を結ぶ出版をめざして――コロナ禍と人の「つながり」

みなさま初めまして。2015年10月に京都で創業しました英明企画編集(エイメイキカクヘンシュウ)と申します。いわゆる独立系、めくるめく弱小零細の「ひとり出版社」兼編集プロダクションです。

創業以来、「比較文化学への誘い」と「混成アジア映画の海」という二つのシリーズを立ち上げて、人文・社会科学系と称されるジャンルの本を計6点刊行してきました(2020年8月時点でこの数なので、かなり少ないです……)。

二つのシリーズは一見バラバラで、なんの脈絡も方針もないようですが、大学や研究機関に所属する研究者の研究成果を本にしているという共通点があります。いわゆる研究書・学術書の類いです(専門外の方にも読んでいただきたいので、それをめざして作っているつもりです)。その他の共通点としては、私が脳内編集会議で「出す!」と決めたものというぐらいで、ようするに行き当たりばったり、今日までなんとか口に糊しております。

■2020年3月に新刊を出す予定だったのですが……
シリーズ「比較文化学への誘い」については、第1巻『比較でとらえる世界の諸相』に始まり、

食からみる世界』、

文化が織りなす世界の装い』、

弔いにみる世界の死生観

など計5冊を刊行し、2020年3月には第6巻『人のつながりと世界の行方』(山田孝子編著)を出す予定で作業を進めていました。

この『人のつながりと世界の行方』は、血縁、地縁、学縁、職縁、嗜好縁、信仰縁など、世界の民族や集団の「つながり」の諸相を紹介し、多様な「つながり=縁」が社会の安全・安心を支えていることを伝える本です。その事実を示したうえで、過度な依存・負担に陥らない適切な「つながり」を現代の日本で再生する提言を盛りこんだ書籍として、編集作業を進めていました。キーワードとしては、「身体のつながり」、「五感によるコミュニケーション」、「共食」、「時間と空間の共有」、「信頼性」、「透明性」などが挙げられます。

ところが、原稿が集まってゲラを作成していた2020年1月末に、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的な感染拡大が起こってしまいました。ニュースでは「家にいろ」、「移動するな」、「人と距離をとれ」という報道がなされ、「国家の緊急事態だ」という宣言まで出されました(なぜだか「検事総長の定年を延長したい」という話も出てきて、それはそれで緊急事態だと思いましたが)。このタイミングでは、「人と身体的な接触をはかれ」とか「共食はいいぞ」などと、うかつには言えません。なにしろ人と人との「つながり」の機会こそが、このウイルスを蔓延させ、生命を脅かす原因となってしまうわけです。論旨や意図は変わりませんが、ていねいな説明が必要だと考えて、組版作業を中断し、刊行時期をずらして編集作業をしなおすことにしました。

■ひとり零細版元のコロナ禍日誌──2020年2~5月
2020年2月以降、新型コロナウイルスの感染拡大が世の中に与えた影響については、みなさんご存じのとおりです。版元、取次、書店、印刷・製本業、デザイナー、校閲者などなど、出版に関わるすべての方が被った大きな損害についても、周知のことでしょうからふれません。個人的には、「とにかくすべてが変わってしまった」という感覚でした。休業せざるを得なかった書店、感染の恐怖と戦いつつ営業を続けていただいた書店、どちらにも版元として営業に伺うことなどできません。対面直売の機会もなくなり、版元ドットコム西日本で毎月していたトークイベントも中止を余儀なくされました。もともと少ない小社の売上だって雲散霧消、そんな愚痴をこぼしたいのに同業者との呑み会もできません(相手は聞きたくないかもしれませんが)。図書館が臨時休館となった影響も大きく、資料や文献の確認ができなくなり、請負の編集仕事にも支障を来すようになりました。

私は仕事に使える道具を自宅には置いていないので、コロナ禍のなかでも事務所に出ていました。文字通りの「ひとり出版社」ですから、事務所にひとりでいる限り、感染の危険性も感染させてしまう可能性もほぼないはずです。電車での通勤では、マスクをしたうえで、できるだけ時差をつけて人の少ない時間帯に乗車し、他の乗客との距離をとるよう心がけていました。そして事務所に着くなり手洗い、うがいをして、ようやく一息つく状態でした。「過度に恐れるな」という話もありましたが、過去に肺炎になって肺に500円硬貨大の穴があいて胸腔鏡手術でふさいだ経験があるので、けっこう怖いのです。それに、そもそも本当にひとりの会社ですから、入院とか隔離ということになったら請負の仕事が全部止まります。自転車ならぬ一輪車操業なので、止まればすなわち倒れます。そして全身を複雑骨折して、二度と立ち上がれないに違いありません。

著者や顧客との打ち合わせは、電話かメールのみになりました。ふらっと研究室を訪ねて話ができていたいくつかの大学にも入れません。請負仕事の納品もできるだけ手短にすませて、なるべく人と会わずにそそくさと帰る日々。どうにも緊張感がとれない、どこか抑圧された雰囲気が日常となっていきました。うさを晴らそうにも、飲食店は営業自粛、映画を観にいくことも、劇場に漫才や落語を聞きにいくことも叶いません。それどころか、ライブハウスや小劇場、ミニシアター、飲食店のなかには、残念ながら廃業に追い込まれるところも出てきました。そんななか時間とお金をかけて配付される2枚のガーゼマスク。不安がパーッと吹き飛ぶことなどなく、どうにもこうにも、明るい見通しがまったく立たない状況でした。

■コロナ禍がもたらした「つながり」への餓え
日本でも世界でも多くの人が鬱々とした日々を過ごさざるを得ないなか、個人的にもっともしんどかったのは、意外にも、直接だれかと会話ができないことでした。もともとひとりで過ごすことは嫌いではありませんし、毎日だれかに会って話さないとすまないというタイプの人間でもないのです。むしろ出不精の人見知りで、ずっと部屋に籠もって本を読んでいても平気なほうです。しかし、できるだけ人と距離をとり、だれとも会わずに自宅と事務所とを往復するだけの数か月を過ごしていたら、こんな私ですらだれかとコミュニケーションがとりたい気持ちがふくらんできました。「つながり」を欲するようになったのです。その結果、まずは電話をかけることが多くなりました。そしていざ話しだしたら長話です。さらには、しばらく会えていない人にメールを送ってみたり、SNSでメッセージを送ってみたりもしました。でも、やっぱりどうにも、ものたりない。ちっとも楽しくないし、打ち合わせも時間がかかるばかりで、いまいちうまく進みません。

会って話すことの効能は言うまでもありませんが、やはりメールやメッセンジャーで文字のやりとりをするだけでは、相手の気持ちを察することは難しいものです。もちろん、他人の気持ちなどというものは、「わかる」とか「理解する」ことは不可能です。だからこそ人は、相手の目の動きをみて、表情をうかがい、口調を聞いて、相づちを打ったり質問をしたりするなかから、気持ちや考えを推し量ろうとします。それをしあうことで意図をすり合わせ、協力して社会を築いてきたと考えられています。しかし、それを文字のやりとりだけですることは、甚だ困難です。とくに、きちんと考えられていない短い文章から得られる情報はかなり少なく、歪んで伝わることも多い。だからこそSNSなどでは誤解が重なって喧嘩になったり、炎上したりすることが多々あるのでしょう。

電話は口調がわかるだけましで、顔がみえるオンライン会議ならさらに伝わるものは増えそうですが、会って話すことには到底およびません(もちろん、会う意味のない、会いたくない人に会う必要はないですし、ハンコをもらうためだけの出社とか、なにかを承認するためだけにリアルな出席を求める会議などはバカらしいので、いますぐ滅びたらいいと思っています)。感染を拡大することは避けなければいけませんが、やはり会って顔の表情をみながら話すほうが交渉はスムーズですし、時間と空間の共有は共感につながり、信頼の醸成にもつながる。SNSのやり取りを切れ目なくしている人とでも、たまには会いたい。

人びとが接近・接触する、「つながる」ことで感染が拡がってしまったコロナ禍は私にとって、「人と会いたい」という人間の本能のような気持ちの存在、人と人との「つながり」の重要性をあらためて認識する機会となりました。きっとみなさんのなかにも、同じように感じた方もおられるのではないかと思います。

■本をめぐる「つながり」の拡がりのむこうに
外出自粛「要請」が続くなかで高まる「つながり」への思いを感じつつ、『人のつながりと世界の行方』の制作を再開したのは5月半ばのことです。中断期間中に情報を集めて推敲を重ね、著者のみなさんにはコロナ禍後の「つながり」を見据えて改稿いただき、副題を「コロナ後の縁を考える」としました。最終的には、5本の解説論考と2本の座談会を収録し、地域としてはアフリカから西欧、中央アジア、インド、東アジア、極域、南米という広範囲にわたり、時代としては人類の祖先が熱帯雨林を出たころからコロナ禍後までの長いスパンの「つながり」を取り上げたものとなって、2020年9月の刊行にこぎ着けました。

巻頭の山極寿一氏(第26代京都大学総長)の論考からは、共食と共同の子育てで養われた「つながり」こそが他の生物に対する強みとなって、われわれ人類がこれだけ数を増やして発展しえたことがわかります。人と会って話すことの効用や、山極氏がコロナ禍のなか未来を見据えて発信していたさまざまな提言も含まれています。藤本透子氏(国立民族学博物館)の論考ではカザフスタンの移動する民が共食を通じて縁を育むようすが、和崎聖日氏(中部大学)の論考ではムスリムがなぜ結婚という「つながり」を重視しているのかが紹介されています。小西賢吾氏(金沢星稜大学)の論考は、亡命チベット人たちがいかに「つながり」を保って宗教復興を為しえたかを紹介するものです。編者でもある山田孝子氏(京都大学名誉教授)の論考では、トランス・ヒマラヤに暮らすラダッキと日本の「つながり」の変容を踏まえて、未来の「つながり」のありようが模索されています。座談会では、言語だけではない五感を駆使したコミュニケーションの重要性と、AI社会における「つながり」の維持と再生にむけた分析と提案がなされています。

本書が提案しているのは、「ぼっち」がよくないとか、SNSで相互フォローの人がたくさんいないと心配だとか、だれかが投稿したらすぐに「いいね!」を送って関係を維持しないといけないとかいう話ではありません。くわしくは本書を読んでいただきたいのですが、強くなくとも、深くなくとも、常時接続でなくとも、さまざまな種類の「つながり」を負担にならないかたちでいくつかもっていると、暮らしやすいし楽しいという提案です。そしてその「つながり」は、異なる文化をもつ他者の尊重、他者との豊かで安全な共存に結びつくものでもあります。

願わくは、この『人のつながりと世界の行方――コロナ後の縁を考える』をたくさんの方がお読みいただき、「つながり」について思いを馳せて、「あの人に会いにいこうか」とか「あの人に連絡してみようか」と考えるきっかけになったら、とてもうれしく思います。さらには、「食事でもしながら本の内容について話してみよう」とか「しばらく会えていないあの人に、本に書かれていたことを伝えてみよう」などと思っていただけたら、たいへんありがたいことです。

本にはさまざまな機能がありますが、その一つに、「著者の思いや知識を綴じ込めて、時空を超えて読者につなぎ、その『つながり』を拡げていく」という働きがあると思います。著者と読者との「つながり」だけではなく、同じ本を読んだ読者どうしがつながることもあるでしょうし、一冊の本が次の本へとつないでくれることもあるでしょう。「つながり」について考えた本書が人と人とをつなげ、次の本へとつなげる役割を果たしてくれたら、版元としてこれ以上の歓びは――いや、やはり最上の歓びは、本書が大ヒットして自転車操業ならぬ一輪車操業に補助輪がつくことかも……。でも、本シリーズは学生さんや若い方がたにも手に取っていただけるものにという編著者の強い要望を受けて、総ページ数や4色ページの有無にかかわらずすべて定価1,000円にしております(『人のつながりと世界の行方――コロナ後の縁を考える』はA5判全192ページで96ページが4色です)。卸値から流通費用や管理費用などを差し引くと、手許に残るのは1冊あたり――。

ヨタヨタしながら一輪車をひたすら漕ぎ続ける日々は、まだまだ続きそうな気配です。

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