版元ドットコム―版元日誌
新参者の出版社、株式会社ナラボー・プレスの代表赤井田拓弥です。
会社自体は1985年設立の語学書の編集プロダクションです。設立後37年目ですから、ちょっとした老舗なのです。そして、昨年2021年2月に、なんと紙の本の新しい出版社として出帆したのでした。2022年4月までに6点を出版しました。ただ、編集プロダクションの業務も続けてはいます。
なぜ36年も編集プロダクションを続けてきた会社がいまさらながら出版業を始めることになったのかなどについて書いてみたいと思います。
編集プロダクションの立ち位置と役割
編集プロダクションというのは、出版社の肩代わりで出版物や教材の編集をして校了まで持っていく作業をする会社です。一般的に、出版物が世に出るまでの流れとそれぞれの担当は次のようになっています。
1. 進行管理 → 発行出版社
2. 原稿執筆 → 著者
3. 編集 → 編集プロダクション
4. 制作(版下制作、DTP作業)→ 制作会社
一般的にはこうですが、私の会社では、多くの出版物で上の2~4の業務を自社で行っているのです。これについては、おもしろい話があります。
90年代半ばに、ある大手の出版社からTOEICの必修単語本出版の企画を依頼されました。そのときの企画書に、執筆からDTP作業まで一貫して弊社が行うということと、それに伴う費用の見積もりを書いたのですが、その出版社の編集局長は、1つの会社が原稿から制作まで一貫して行うということがどうも理解できないようでした。担当スタッフが局長を説得し、企画どおり私どもが原稿執筆から版下まで一貫しておこないました。
結果的に、この本は10万部を超えるヒット作品となり、その出版社からは、その後、計5点の書籍を出させていただきました。
自分たちで執筆を行うことを決意させた、ある出来事。
小説やエッセイ、ビジネス書といった一般書と違い、語学書などの学習参考書には思想や哲学(これはあるかもしれませんが)などがあまりありませんので、編集部で執筆していくことも可能です。自分たちで執筆して、その原稿を自分たちで編集していきたいと思ったきっかけが、前職の会社でありました。
前職の編集プロダクションの会社に入社したのが1978年の秋でした。就職して1年後くらいに、高校生のための大学受験用教材の編集の担当者になりました。この当時、前職の会社での役割は、上で述べた作業工程で言うと「2」の編集だけでした。
すでにいくつかの著書もある著名な大学の先生にお願いしたのですが、もらった原稿があまりにもひどかったのでした。たぶん助手の大学院生に書かせたのではないでしょうか。
例えば、朝のジョギングのことを書いた英文の「丘を上るときはつらいが、the other side of the hillになったら楽になった」という内容の文のthe other side of the hillの部分を「丘の側面」と訳してきたのです。この部分は朝のジョギングの話で、「ちょっとした丘の上りを走るときはつらいが、下りになると楽になる」というだけの簡単な内容でした。the other side of the hillというのは、「上りに対して反対側」つまり「下り坂」ということです。それを、丘を上っていた人が突然側面を走り出すような日本語訳を付けてきたのでした。
このほかにも40箇所くらいの間違いがあり、私は「ここはこうではないでしょうか」という手紙を書きました。当時はワープロもパソコンもありませんから、すべて手書きです。間違いの箇所を書き出して、それに私の見解を述べたのでした。
そのときに感じたのが、「こちらは単なる大卒、先方は大学の先生。大卒だけでは太刀打ちできないのかなぁ」ということでした。
そうした劣等感のようなものを克服すべく、その後、社長に提言し、ネイティブ・スピーカーを雇用して完璧な英文と日本語を書き、自分たちで企画して出版社や販売会社に提案し、原稿執筆から制作まで自分たちで進めていくスタイルを採るようにしていきました。
独立。会社を設立。
ナラボー・プレス設立の年(1985年)は、ITの分野でのターニングポイントとなった年でした。パソコンが一般的になってきましたし、ワープロが現れました。出版の世界でも、それまでは手動による写植だけでしたが、「電算写植」が登場してきました。それからすぐにDTP(desk-top publishing)が現れました。当時の代表的なDTPソフトは「大地」です。
私はいち早く「大地」を導入し、自分でレイアウトや版下制作作業を行うようにしました。ひとつには外注費を少なくしたいということもありましたが、自分で版下制作作業をすることでスケジュール管理がしやすくなるということもありました。
『小林克也のアメリ缶』を制作。
会社の設立当初は、塾用の教材の執筆・制作が主でした。1年ほど経った頃、前職の社長から「手伝ってほしい仕事がある」という連絡が来ました。それが、伝説的な英会話教材『小林克也のアメリ缶』です。
『小林克也のアメリ缶』
前職の会社が請けたのですが、担当者が途中まで原稿を書いたあたりでギブアップしてしまったらしいのです。そして、残りの原稿は私が仕上げ、そのあとに小林克也さんにお会いして、スケジュールのことや録音方法などを話し合いました。
この教材の制作ではおもしろい逸話があります。長くなりますので、私のブログでお楽しみください。
こちらです。
https://www.nullarbor.co.jp/blog/2021/03/03/1199/
TOEIC® TESTの考案者である三枝幸夫氏から受けた薫陶
TOEIC® TESTの考案者である三枝幸夫先生に初めてお会いしたのは、私が前職の会社にいたときでした。先生が所属していた国際コミュニケーションズという会社とは、いくつかのプロジェクトで、私が独立するまで付き合いが続いていました。
そして、私が独立したとき、その会社から「TOEIC® TESTのプロモーションのための雑誌『TOEIC Friends』を発行したいので手伝ってほしい」という依頼がありました。そのとき三枝幸夫先生は、すでに国際コミュニケーションズを辞め、早稲田大学教授になられていました。ただ併行して国際コミュニケーションズの顧問もされており、雑誌『TOEIC Friends』を監修されることになりました。
先生のご自宅が東京の府中市にあり、たまたま当時私が住んでいたアパートからご自宅まで自転車で行けるところでしたので、かなり頻繁に通い、いろいろと教えていただきました。TOEIC® TESTに関すること、また、英語のテストはどうあるべきなのかとか、科学的な英語の学習法など、英語に関するすべてのことを教えていただいたのでした。
私が新しく出版社をスタートさせたのには、三枝幸夫先生の教えを教材という形で具現化したいという気持ちも少し入っています。
三枝幸夫先生の教えを具現化するために
私どもの会社で商業出版、つまり紙の本を出そうと決めたのにはいくつかの理由があります。大きな理由はもちろん、出版不況で、出版社からの執筆や編集、制作などの依頼がめっきり減ってきたことです。
少し低俗な話になってしまいますが、出版社の依頼で本を書いて出した場合、印税はよくて10%です。数パーセントのときもあります。原稿執筆だけですと、仮に1万部売れたとして(こんなに売れる本はあまりありませんが)100万円ちょっとです。
自社出版ですと、最初に書いたように、私どもの場合は、原稿執筆からDTPまですべて自社でこなしますから、外注費は印刷・製本費用だけです。もちろん、その他の諸々の経費はありますが、原稿を自分たちで起こしますから、外部への印税が発生しません、自分で原稿を書いている限りは。
三枝幸夫先生に教えていただいた英語の学習法や教材を本にして出したいと思い、出版企画書にしていくつかの出版社に提案したこともあります。そして、多くの場合「いい本になるとは思いますが、売れる本になるかどうかはなんとも言えませんね」と言われるのでした。そういったことが長く続くうち、少しずつ「自分で出そう」という気持ちになってきたという次第です。
とは言え、三枝先生の哲学・学習法を教材にまとめても、一般的にはすぐに受け入れられないかもとは思います。と言うのは、一般読者(学習者)は、すぐに結果が出る本、例えば「2週間で英語がペラペラになる」といったようなものを求めているからです。
そこで、まず下のような冊子を作り、書店に置いていただいたり大学の先生方を通して学生さんに紹介していただいたりという作戦を考えました。
この冊子の内容はブログでも紹介しており、希望者には無料で差し上げています。
こちらです。
https://www.nullarbor.co.jp/blog/2021/03/26/1612/
この冊子を大学の授業の一環として使ってくださる先生もおられます。オリエンテーションなどで学生に読ませて感想文を書かせます。そして、ある先生が、その感想文を送ってくださいました。以下に、ある学生の感想文を載せ、今回の記事を終わります。
ある学生の感想文
【1. TOEICテストの誕生とその意義】について
「アメリカの大学への入学を前提にした」英語力と知識を測ることを目的にしているTOEFLでは、ほとんどの日本人の英語力は測ることが困難であることがTOEICテスト誕生の背景となっているが、実際、私自身もTOEFLの受検はハードルが高く、まずはTOEICの受検に挑戦したため、大いに納得するところであった。
Part 2の応答問題だけ選択肢が3つであるわけは特に考えたことがなかったが、スピーキングに必要とされる適確な情報判断力と即応力を測定するためだと知り、Part 2の復習では、自分が実際に会話をしているイメージで、繰り返し音声を聞いて、自分で声を出して会話を再現する練習をしたいと思った。
【2. TOEICスコアと日本人の英語力】について
TOEICが評価できる英語力の最高レベルは、ネイティブ・スピーカーレベルではなく、「完璧と言えないまでも国際的なビジネス業務を支障なく遂行できるレベル」だそうである。なので、満点に近い点数を取るまでの道のりは長いと言っても、努力すれば到達できるレベルだともいう意味で、英語学習のモチベーションが上がった。
一方で、センシティビティ・レビューなどによる制約により、TOEICに出題される英語の範囲はかなり狭く、TOEICに特化した勉強をしすぎると英語のスキルに偏りが出てくるということから、普段から純粋に英語力向上を目指したい。しかし、TOEICは学習目標をはっきりと設定できる学習システムのために作られたテストである上に、TOEICの目標点数が英語学習の意欲を高めてくれる要素でもあるので、一概にTOEICのための英語学習が悪いとは言えないとも考えた。
【3. 10年も勉強したのに…。】について
言語能力習得に最も大きな影響を与える要因は、知性でも教授法でもなく、学習意欲や忍耐であるということは、英語学習をこれから続けていく上で、大きな励みになると感じた。また、英語は日本語から最も遠い難解語であり、必ず習得に時間がかかると覚悟をしたうえでコツコツと日々学習を積み重ねていくことが大事だということが分かった。また、私の今の英語力では、「文法」の勉強が最優先事項だと知ることができた。今まで、文法の勉強は最も避けてしまってきた要素なので、頑張りたい。
【4. 英語の4技能と生活英語】について
英語の4技能において、リスニングとリーディングの理解言語が、スピーキングとライティングの表現言語に先んじ、大きく上回るという原則は、日本語や他の言語にも言えることを考えると、私たちが日本語を生まれた瞬間から、見聞きしていることで自然に身についているのと同じ原理で、ふだんから英語に多く触れていく必要があると思った。 また、「人は読むスピードで思考する」というのはとても興味深く、理解言語の能力を伸ばしていく意欲がさらに高まった。
大学生になってからスピーキングの練習をする機会が減ったが、スピーキングについてはかねてよりそのための知識不足を痛感していたため、語彙力に不安があるうちは、まず理解語彙数を十分に増やし、理にかなった順番で英語力を身につけていきたい。
【5. TOEICを使って知識英語を生活英語に】について
TOEICの点数については、スコアバランスをあまり気にしたことがなかったが、トータルスコアではなく、リスニングスコアとリーディングスコアのバランスが重要であるというのは、とても勉強になった。学校英語型は学習速度が速く、リスニング力が伸びやすいということだが、自分のスコアバランスはネイティブ・スピーカー型であり、リーディングスコアは400点に達していないため、単語力、文法力、構文力などリーディングに重きを置いて、学習を進めたい。
最後に、昔から英語の学習については文法や語彙の勉強に苦手意識を持ってしまっているので、これからは、私にとっての英語力上達のいちばん有効な方法として、文法力・単語力・読解力を鍛えて、社会で役に立つレベルの英語を身につけていきたいと思った。