『詩人の恋 〜アラブの歌姫ウンム・クルスーム物語』の物語
2年ほど前のこと。親しくさせていただいている先生から「翻訳書を出したいのだけれど」と相談をうけた。聞けば、エジプトで大人気の女性歌手に関する本だという。亡くなってずいぶん経つのに、いまだにエジプトのCDショップでは彼女のコーナーが大きく展開されているそうだ。
その女性の名は「ウンム・クルスーム」。翻訳したいという原書はフランスで刊行された『OUM』。……オ ウ ム……? フランス語では「ウンム」をこう書くらしい。とにかく、翻訳書を出せるかどうか調べてみることを約束した。
まずは、原書を手に入れなければ。ということでAmazonで検索するとなんとか見つかった。値段もさほどお高くはない。早速注文したところ2週間ほどで届いた。パラパラと本をめくって中身を見てみるが、フランス語であることはわかるが、チンプンカンプン。さ、次はエージェントへの連絡だ。エージェントへは何度かお願いをしたことがあるが、流れとしては、(1)エージェントへ書籍の情報を送る(2)エージェントが原書の版元へ連絡して交渉する(3)条件が合えば仮契約をして、翻訳書刊行の準備が整う。いつもはそんな感じだ。
ところが、この本はそうはいかなかった。エージェントからの最初の返事は「調べたがそういう出版社は見つからなかった。間違いはない?」というもの。スキャンした書誌データを見せて再度調べてもらう。そうすると、「わかった。その出版社はずいぶん前に解散しているらしい。なので、別の版が出ていないか調べてみる。出ていなければ、著者と直接契約するしかない」という。うーん、なんだか面倒そうだなぁ(面倒なのはエージェントの人で、こちらは待っているだけなんだけど)。しばらく時間が経って返事があった。「どうも別の版は出ていないみたい。なので、著者と直接連絡を取るけど、連絡先はわからないよね? ヒントになる資料はない?」という。
さて困った。この本の著者はベイルート生まれのアラブ人で、フランスを拠点とするジャーナリストなのだ。パレスチナの問題などを取材して映画も作ったりしているらしいが、ネットで検索したところで作品は出てくるものの、当然ながらメールアドレスや電話番号なんてものは出てこない。だいたい、今現在フランスにいるのか、生きているかさえもわからないのだ。
先生にカクカクシカジカと説明し、なんでもいいのでヒントになる資料を集めてもらった。が、やはり著作のリストや著者が書いた記事、昔日本で紹介された記事がある程度だった。ネットでさらに検索しても大した情報は得られず。仕方がないので、エージェントにその旨を連絡。「とにかくやってみるよ」という返事をもらい、再びひたすら待つことに。
しばらくして、エージェントから連絡がきた。「著者と連絡がとれた。翻訳もOKだそうだ」とのこと。翻訳はすでに進んでいたので一安心である。どうやって著者と連絡を取ったのかを聞いたら、「著者の書いた本のリストから現存している出版社を見つけ出して、そこへ問い合わせてみた」とのこと。向こうの出版社にしてみれば、突然日本のエージェントから連絡がきて、「おたくの本じゃないんだけど、著者の連絡先が知りたい」と言われたわけだが、ウチにこんな話が来たならどうするだろう。向こうの出版社でもすぐにはわからず、なんと、いろいろ調べて教えてくれたらしい。誠にありがたい限りである。「その代わり、ウチの本も日本へ売り込んでね」と頼まれたそうで、委託したエージェントからは「こんな本もあるけど、翻訳書出さない?」と早速セールスされた。が、ちょっとウチの柄ではない本ばかりだった。
そんなこんなで、翻訳の手続きは整った。契約書を作る際に少々もめたそうだが、それもエージェントがうまいこと切り抜けてくれた。もめたと言っても日本語版がでることは大層喜んでくれたらしく、自分の他の著作も日本語版を出さないかとセールスされたそうである。契約書を交わして一件落着。著者の直筆サインの入った契約書を手にちょっと緊張。先生の翻訳も予定通りに進んでいたが、終盤になって気づいたことがあった。それは著者略歴だ。原著にも書かれているけど、すでに時間も経っているから変わっているだろう。またまたエージェントに連絡をとり、「著者略歴が欲しいんだけど」と聞いてみた。これがなかなか返事が来なかった。そうこうしているうちに二校、三校と作業は進行し、装丁も仕上がってきた。「もう、原著にあるもので行っちゃうか」と思った数日後、著者から略歴がやってきた。先生に大至急翻訳してもらい、印刷ギリギリで差し替えが間に合い、最新の略歴を載せることができた。
なかなか返事がなかったのは、取材でパリにいなかったかららしい。最初の契約の時にスムーズにやりとりができたのは、著者がたまたまパリにいたタイミングだったようで、運が良かったということになる。
今回大活躍してくれたのは、エージェントさんだ。ありがとうございました。そして、著者の連絡先を調べてくれたパリの出版社さんにも感謝。
以上が、自分はほんのり大変だったけれども、多分に大変だったであろう周囲のみなさんのご協力のもと、無事に世に出すことのできた『詩人の恋 ~アラブの歌姫、ウンム・クルスーム物語』の顛末である。