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金時鐘 ずれの存在論
原書: 김시종, 어긋남의 존재론
- 初版年月日
- 2024年12月10日
- 発売予定日
- 2024年12月10日
- 登録日
- 2024年11月18日
- 最終更新日
- 2024年11月20日
紹介
日本語による現代詩の最高の担い手である金時鐘の詩作品一つひとつを綿密に分析した、稀有にして無二の詩論。金時鐘のダイナミックな生涯やエッセイに依拠してその詩を読みとくのではなく、ダイナミックな詩そのものから金時鐘の「存在」を導きだし、哲学思想を媒介にして、詩人の「生」に肉薄する。
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定価=6000円+悪税
目次
序
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第一章 詩人にやってくる詩はどこからくるのか?――聞こえず見えぬものたちの真実について
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一、化石の目つき
二、破滅の瞬間を美しさと誤認する者たちよ!
三、詩はどこからやってくるのか?
四、遠く、地平線の外を巡って
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第二章 在日を生きる、詩を生きる――深淵の生が送った手紙
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一、生の大気、詩の雰囲気
二、おお、わたしは見えない、聞こえない!
三、深淵、あるいは地下から送った手紙
四、訣別し訣別して、いく
五、生きる、在日を生きる
六、存在を賭けるということ
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第三章 海のため息と帰郷の地質学――『新潟』におけるずれの存在論
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一、「そこにはいつも私がいないのである」
二、出来事的なずれ
三、存在論的なずれ
四、ずれの思惟、詩集『新潟』の編成
五、みみずから蛹へ
六、故郷の生物学、帰郷の地質学
七、海のため息
八、わたしと世界のずれ
九、存在論的分断、あるいは分断の存在論
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第四章 なくてもある町、なんでもない者たちの存在論――『猪飼野詩集』における肯定の存在論と感応の多様体
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一、「あってもないもの」と「なくてもあるもの」
二、存在の肯定と否定
三、なんでもない者たちの力
四、垂直の力と水平の力
五、感応の多様体
六、果てる在日、在日の境界
七、日日の深みと痣
八、表面の深さと深層
九、箱のなかの生と隣人の存在論
十、かげる夏、ずれの感覚
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第五章 出来事的ずれと褪せた時間――『光州詩片』における出来事と世界の思惟
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一、『光州詩片』と「光州事態」
二、出来事以前の出来事
三、事態、詩人の目に届いた場所
四、誓い、心に誓う
五、事態の諸伝言
六、事態の存在論
七、止まった時間、褪せる出来事
八、時間を消して問う
九、含蓄的出来事化
十、こともない世界と闇の特異点
十一、出来事と世界のずれ
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第六章 染みになり、化石になり――『化石の夏』におけるずれの空間と化石の時間
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一、存在論とずれ
二、はざま
三、凝固
四、染み
五、化石
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第七章 錆びる風景とずれの時間――『失くした季節』における「ときならぬ時間」の総合
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一、ずれた時間からずれの時間へ
二、帰る、止まった時間のなかに
三、季節の時間のなか
四、止まった時間の出口
五、涸れさせた時間を壊して
六、沈む時間と沈める時間
七、ずれの時間
八、時間の三つの総合
九、世界の時間と存在論的ずれ
注
訳者あとがき
前書きなど
《「ずれ」とは、光が差す世界から闇へと入りこむ入口だ。拒絶の形態であれ裏切りの形態であれ、墜落の形態であれ沈没の形態であれ、ずれに巻きこまれそのずれを生きぬかねば、わたしたちは闇の世界へ入りこめない。存在の思惟は世界とその外、光と闇がずれる地点から始まる。もし存在論に「故郷」のようなものがあるならば、それは地理学的思考が指定するなんらかの場所ではなく、まさにこのずれであると言わねばならない。このような理由で合致と統一、集めることと調和のようなものを通して存在を思惟しようとする試みは、決して存在に到達できないであろうとわたしは信じる。
金時鐘の詩を読み、繰り返し見てきたものは、まさにこのずれだった。このずれを通して入りこむことになる闇だった。そのずれをずれとして生きぬき、そのずれのなかで生を矜持し、そのずれを通して異なる生を創案するという、驚くべき、そして稀有な「霊魂」がそこにあった。このような「霊魂」は、スピノザ『エチカ』のよく知られた最後の文章を呼びおこす。「すべて高貴なものは稀であると共に困難である(Omnia præclara tam difficilia, quàm rara sunt)」
南でも北でもない、かといって日本でもない場所、かといってそのどことも無関係ではない場所を、かれが「在日のはざま」と命名した場所をかれは生きる。かれが詩を書くのもその場所だ。じっさいこれはふたつではない。かれにとって文学とは「詩を生きる」ことであったがゆえに。いや、かれが生きねばならなかった生が、かれをかの特異な文学的空間へと押しこめたと言うべきだ。皇国少年が戸惑いとして迎えねばならなかった「解放」。その解放の出来事がぶつかってきた「そこ」にかれはいなかった。このずれが早くからかれを深淵のなかへ押しこめた。このずれをかれは繰り返し体験する。かれはこれを「存在」自体に対する思惟へと押しひろげていく。「ずれの存在論」、それが詩人金時鐘が送りだした詩を受信するためのわたしの住所だ》
――「序」より
上記内容は本書刊行時のものです。