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原典 中世ヨーロッパ東方記
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2019年2月10日
- 書店発売日
- 2019年2月10日
- 登録日
- 2018年12月27日
- 最終更新日
- 2019年1月29日
書評掲載情報
2019-05-12 |
読売新聞
朝刊 評者: 宮下志朗(放送大学客員教授、フランス文学者) |
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紹介
モンゴル帝国の侵攻はヨーロッパを震撼させ、その世界像に転換を迫った。当時、東方に派遣された修道士や商人たちは何を見、どのように記録したのか。ルブルクやマルコ・ポーロ、ハイトンらの旅行記から、書簡、教会壁画、世界地図まで全15編を原典から翻訳集成し、ヨーロッパによるアジア認識の展開をたどる。
目次
はじめに
第一部
I マシュー・パリス『大年代記』(抄)
II カルピニ『モンガル人の歴史』
ベネディクトゥス・ポロヌス修道士の報告
タルタル人皇帝宛インノケンティウス4世書簡
インノケンティウス4世宛グユク返書
III シモン・ド・サンカンタン『タルタル人の歴史』
(Ch. 51「インノケンティウス4世宛バイジュ書簡、
Ch. 52「バイジュ宛グユク書簡」を含む)
IV ルブルク『旅行記』
(Ch. 36「ルイ王宛モンケ返書」を含む)
ルイ9世宛エルチギデイ書簡
ルイ王宛オグル・ガイミシュ返書
V リコルドゥス・デ・モンテ・クルキス『巡礼記』(抄)
VI マルコ・ポーロ/ルスティケッロ・ダ・ピーサ
『世界の記』(抄)
VII ハイトン『東方史の華』
VIII モンテコルウィーノと修道士たち
クビライ宛ニコラウス4世書簡
フィリップ4世宛アルグン書簡
モンテコルウィーノ書簡(3通)
ザイトン司教ペレグリヌス修道士書簡
アンドレアス・デ・ペルシオ修道士書簡
IX オドリクス『東方記』
X マリニョッリ『ボヘミア年代記』東方記事(抄)
ベネディクトゥス12世宛トゴン・テムル書簡
ベネティクトゥス12世宛アラン人君侯たちの書簡
第二部
XI プレスビテル・イォハンネスの書簡
XII ペゴロッティ『商取引実務』(抄)
XIII ボッカッチォ『デカメロン』(抄)
チポッラ修道士の旅
ナタンとミトリダネス
XIV フィレンツェ・サンタ・マリーア・ノヴェッラ教会
スペイン礼拝堂壁画
XV カタラン・アトラス
おわりに――ルネサンスはマルコ・ポーロに始まる
初出一覧
図版一覧
細目次
前書きなど
世界、それが全貌を現し始めたのはそう古いことではなかった。13世紀初めのことである。東の果てから興って征服の馬蹄を四方に進めていったチンギス・カンとその裔たちに始まる。ヨーロッパに到来した彼らは、その東境ハンガリー・ポーランドを襲い、アドリア海を渡ってイタリア渡来も必至かと思われたが、何故かそれ以上西に進むことはなく、踵を巡らせて東に戻って行った。
が、西方にとってその衝撃は大きかった。その出現はあまりにも突然であり、その軍はあまりにも強く、その民族はまったく未知であり、その者たちは何もかもあまりに異なっており、人間か獣かすら分からぬほどだったからである。そしてそのことは、自らの世界像・世界観を問い直させずにはおかなかった。彼らがやって来たという東方について、ひいては世界について、何も知らないことを思い知らされたからである。
しかし一方、こうして危うく存亡の危機を逃れたヨーロッパの幸運は大きかった。その侵攻によってほぼ全土を征圧されそのまま居座られた途上の国々、ホラズム・ルーシやペルシャ・イラクと違って、国土と財貨のみならず、自然も人間も、社会と文化も、神も文明も、ほぼ無傷のまま残ったからである。
こうして虚を突かれたが、先立つ十字軍運動の中で聖地の彼方に拡がる広大な世界をかいま見、そこへの関心を深め始めていたヨーロッパは、この機会を捉えて、後退する彼らの後を追うかのごとく東に向かってゆく。といっても軍によってではなかった。モンゴルに対抗しうる軍事力はなかったし、全体的な統一国家もそれを率いる強大な権力者もいなかった。神聖ローマ帝国には皇帝フリードリヒがおり、彼も世界の主を自認していたが、モンゴルの前には虚しく雄叫びを上げるだけだったし、仏王ルイも神に天国を祈るほかなかった。が、それとは別のものがあった。これまた無傷のままに残ったキリスト教とその長教皇である。それに、軍隊を持たぬ教皇庁にはそれに代わるものがあった、修道会である。こうして向こうから開けて来た東方に向かって彼らは使者、騎士ではなく修道士を次々と派遣する。その任務は、表向きは布教と使節であったが、実質的には偵察……
[本書「はじめに」より]
上記内容は本書刊行時のものです。