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「ニセの自分」で生きています
心理学から考える虚栄心
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2023年4月15日
- 書店発売日
- 2023年4月6日
- 登録日
- 2023年3月9日
- 最終更新日
- 2023年5月2日
書評掲載情報
2023-05-13 | 日本経済新聞 朝刊 |
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紹介
自分は一体何者なのだろうか。他者のことが気になり、ウソをつき見栄を張る外面的な仮面を外して、自分の内面と向き合うとき、自分を否定せず、生き続けるにはどうしたらいいだろうか。著名な心理学者やカルチャーからともに考える《愛》にまつわる思考と実践。
目次
はじめに
第1章 「いつもの自分」と「架空の自分」
「カッコいいオレ」
「いつもの自分」は見たくない
「キメ顔」コミュニケーション
「外出自粛」と「不登校・ひきこもり」における形態の相似
強盗だけをしおらしく白状する
コラム① 自己顕示欲と承認欲求
第2章 他者の思惑
いい感じのハゲとして他者を魅了する
傷つくのはいつも見栄
「本来の自分」が「嫌い」だから見栄を張る
ポジティブぶりっ子
「オレ、握力50キロ」
選択的非注意
コラム② ドワーフとエルフ
第3章 「わたし」は何者か
「資格取ってから言えばいいのに」
「誰か」になりきるおままごと
もしも国土が消えたら
私は○○です
アイデンティティの早期完了
未来からの前借り
コラム③ 『ダークナイト』と『アンパンマン』
第4章 仕事と趣味について
枯れた技術の水平思考
枯れた技術の埋蔵量
消費者としての「好き」
好きなことの四段階
「嫌いなもの」が減り、「できること」が増えるとどうなるか
趣味と仕事
コラム④ 支払いの執行猶予
第5章 フィルター越しに見る世界
フィルター越しの世界
「基本OS」に基づいて世界を理解している
ゲームの構造で世界を見る
結婚しても恋してる
ステレオタイプ
「それ」をどのように好きなのか
不登校の子どもとのやりとりから
コラム⑤ 村田沙耶香『コンビニ人間』について―少数派が生きていても大丈夫なシステム
第6章 汚物の言葉
持っていかなくていいの?
遠隔毒ガス攻撃的悪口
悪口をやめてみる
口から吐く汚物
悪口の相手に見ているのは自分の姿?
隠れてする「変なこと」
赤ちゃんがウンチを触った手
見捨てられなくてよかった
自己満足でも構わない
コラム⑥ 「バカバカしくてウンコ出ちゃうよ」
第7章 ペルソナと過剰適応
笑顔の仮面がはがれない
結婚詐欺師はフラれたときに悲しいのか
「いい子」
「いい子」の仮面がしゃべりはじめる
仮面を欲しがる
コラム⑦ オート・パイロット
第8章 退屈と享楽
退屈は地獄
嫉妬だって刺激
モラヴィア『倦怠』
ドストエフスキー『罪と罰』
「呪い出された」スヴィドリガイロフ
スヴィドリガイロフが自殺直前に見た夢
残り半分
知識と性欲を身につけた小学生
愛すること
コラム⑧ 偉そうにする
おわりに
参考文献
前書きなど
はじめに
はじめまして。稲垣智則と申します。普段は大学の教職課程で「教育心理学」や「教育相談」の授業を受け持っております。臨床心理士と公認心理師の資格を持っていて、かつてはスクールカウンセラーや教育相談所でのカウンセラーなどをしておりました。大学における私の所属は学部・学科ではなく、中学・高校の教員を養成する「センター」ですので、ゼミを持っているわけではありません。卒業論文を指導するわけでもありません。そして、カウンセラーとして働いているわけでもありません。
こうなってくると、私は一体何者なのか、よくわからなくなってくるのです。日本では自己紹介をするときに「職業」を伝えるのがならわしではあります。では、私は「大学教員の稲垣です」と言えばいいのか。そう言うしかないのでそう言っておりますが、それが私の本質なのかどうかもよくわかりません。いわゆる大学教員としては一般的な、卒論指導やゼミをしていないのです。確かに私は論文「らしきもの」を書いたりはしております。結構頑張って、ユング心理学をベースにしながら博士論文を書いたこともありました。しかし、「研究者」と言うのもおこがましい感じになってしまうのです。論文を書くことが不得意で、博士後期課程を満期退学してから15年近くかかってようやく博士論文ができあがったレベルなのです。では、臨床心理士とか公認心理師という資格を前面に出せばよいのでしょうか。そんなことをいっても、今、カウンセラーをメインとしているわけではありません。しかも、臨床心理士の試験では「面接で」一度落ちております。面接をする仕事であるにもかかわらず。
どうしたものか。私は自己紹介すらまともにできないのです。
では、趣味的な活動から自己紹介をしてみるのはどうでしょうか。プラモデルが好きで、ごくまれに作曲活動をして、テレビゲームが好きで、カメラが好きで写真を撮る、そういう人間です、と言ってみてはどうでしょう。それはあり得ます。私の作ったプラモデルや私が撮った写真をお見せして、私が作った曲をお聞かせするという方法もあります。確かにそちらの方が、私の肩書より私のことがストレートにあらわれているようにも思います。
しかしそれが「本当の私」なのかというと、これも首を傾げてしまいます。
ならば「本当の私」とは何でしょうか? そもそも「本当の」というのがよくわかりません。「本当の私」というからには「ニセの私」というものがあるはずです。仕方がないから「ニセの私」の方から攻めていったらどうだろう、と思ったのでした。
それは新型コロナの影響が色濃く、大学は遠隔授業まっさかりの時期でした。卒論指導もゼミもない大学教員として、唯一大学教員らしい仕事である「対面授業」すら剥奪され、私自身が何者なのかわけがわからなくなっていました。そんな中でエッセイを書きはじめてみると、「ニセの私」について紐解いていくものになりました。
第1章では、「カッコつけるときの自分」について、第2章では「他者の思惑」を考えすぎてしまうことについて記しております。これらは「他者に対して着飾ること」にまつわる部分です。それらをふまえ、第3章では「わたし」とは何者か、つまりアイデンティティについて考えます。また、アイデンティティについて掘り下げると仕事と自分という側面が出てきますので、第4章では「仕事」について取り上げます。そして、私たちは言語という一種のフィルターを通して世界を把握し、それに基づいて様々なことを判断しております。「自分」を把握する際にも同様です。そのため第5章では、世界を見る際の「フィルター」について考えます。第6章では、具体的な行動面から「ニセの私」が肥大化していかないようにすることも大事ではないか、という視点に立って、汚物のような言葉、つまり悪口について考えます。ここで少し視点を変え、第7章では「ペルソナ=仮面」について考えます。第8章では、現代に生きる中で、「自分」というものについて考えることを強いられる「退屈」と、それを「刺激」でごまかす様子について掘り下げます。その上で、私たちが「一体、何から切り離されてしまったのか」について考えます。
これはあくまで私なりに、ニセの自分とは何かを掘り進めていった記録です。かなり「青臭い」テーマです。しかし、大学生には参考になるかもしれないという考えがあります。また、青少年に向けて教育活動を行う方々、そして親御さんたちにも参考になれば、と考えております。
上記内容は本書刊行時のものです。