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海わたる聲
悲劇の樺太引揚げ船「泰東丸」 命奪われた一七〇八名の叫び
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 書店発売日
- 2019年1月25日
- 登録日
- 2018年12月5日
- 最終更新日
- 2019年1月25日
書評掲載情報
2019-03-14 | 週刊新潮 3月14日号 |
2019-03-10 |
北海道新聞
評者: 中舘寛隆 |
2019-02-20 | 世界へ未来へ 9条連ニュース No.290 |
2019-02-15 | クオリティ 2019年3月号 |
2019-01-30 | J-CAST BOOKウオッチ |
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紹介
数十年前の「留萌沖三船殉難事件」の取材テープを聞きなおしたとき、著者は自らの「宿題」を思い出した。日本国政府は今なお、国籍不明潜水艦と主張している。政治的な駆け引きの犠牲となった1708名の叫びに耳を傾けたい。生存者の証言をもとに描かれる感動のドキュメンタリーノベル。
目次
海わたる聲
1 土の棺―三十年目の再会
2 青春の傷あと―反戦デモの中で
3 慟哭の証言―海に消えた子どもたち
4 老人の宿題―泰東丸を語り継ぐ
5 朽ちてゆく墓標―事件の村は今
6 若者たちの戦争―無縁仏の人探し
7 声の碑―あの海にこだまして
解説:「留萌沖三船遭難事件」とは
1 一七〇八人は、旧ソ連の北海道分割・占領計画の犠牲者なのか!??
2 終戦直前のソ連対日参戦 戦火の樺太・死の逃避行
3 「小笠原丸」~元横綱大鵬も。稚内での下船が生死を分ける
4 「第二新興丸」~ソ連潜水艦と銃撃戦、沈没をまぬがれる
5 「泰東丸」~日本国内、最後の戦争犠牲者六七〇人
あとがき
前書きなど
あとがき
終戦直後、樺太からの引揚げ船三隻がソ連潜水艦の攻撃を受け、千七百人余りの犠牲者を出した事件は、もう遥かに遠い昔の出来事なのでしょうか。
なかでも日本国内最後の戦争犠牲者(約六七〇人)といわれる「泰東丸」については、遺骨が肉親のもとに還ったのはわずか四十人余りです。
犠牲者の多くは、名前さえ十分な調査もされずこの世に生きた「証」は失われたままです。
私たち(札幌テレビ放送)取材スタッフは、昭和四十八年から十二年にわたって事件の真相究明にあたり、生存者や遺族の証言を映像と音声に収録してきました。
そして、五本のドキュメンタリー番組を制作、全国に放送しました。
それから四十年の歳月が流れ、泰東丸事件は私にとっても既に過去のものになってしまいました。
デジタル時代の今、もはや〝無用の長物〟となった取材テープは、押入れの段ボールに放置したままでした。
カセットテープにコピーしておいた、泰東丸の生存者の証言を取り出し、何本か再生したのは二年前。処分をするつもりでした。
しかし、未使用のまま四十年も眠っていたテープの中から、波間に消えた子どもたちや母親の悲痛な叫び声が聞こえてきたのです。
若い頃、気にもとめなかった「あの海からの声」が、年老いた今になってズシンと心に響いてきました。
「色褪せる」という言葉があっても「音褪せる」とは言いません。
テープを聴きながら私は、命を賭して兄弟たちや他人の子までかばいながら波にのまれていった少年や少女の姿を想い浮べました。
胸がしめつけられ、言葉になりませんでした。
旧ソ連の北海道占領計画の狭間で起きた、留萌沖三船殉難事件―。これは紛れもなく〝虐殺〟です。旧ソ連に対する怒りと、事件を見て見ぬふりをしてきた日本国政府に対する憤りと……。
しかし、この事件のことを長い間忘れ去っていた私は、自責の念に駆られました。
私は犠牲になった子どもたちや引揚げ者の声を、今度は文章にして伝えるべきではないのか―そんな思いで本書を書きました。
「海からの聲」は、犠牲となった子どもたちや引揚げ者の、死者たちの遺言です。
文中の証言のほとんどは、取材テープをベースにしたものです。
四十年余り前、ほとんどマスコミが取り上げることのなかった「泰東丸事件」を世に知らしめ、報道されるきっかけを作ったのは、当時札幌テレビ放送の番組プロデューサーだった、勝佳史さんと、私と同期のカメラマン廣田泰悠さんでした。事件の真相究明に賭けた、その並々ならぬ情熱に私は支えられました。今は故人となったお二人に敬意と感謝の気持ちでいっぱいです。
また、当時札幌テレビの社長だった伊坂重孝さんと報道デスクの鈴木史郎さんの叱咤激励もありがたく、忘れることは出来ません。
取材先の現地鬼鹿で泰東丸の捜索と遺骨収集などに長年取り組んでこられた、今村武さん、星野正三さん、中原貴さんはじめ、地元の皆さんにも心からの謝意を表します。
更には、JR北海道労組の皆さんは、「平和研修」の一貫として、現地での研修会、慰霊を実現してくれました。本部委員長の鎌田寛司さんはじめ、現地調査にも協力いただいた札幌地本委員長の東海林透さんにも感謝申し上げます。
そして、膨大なライブラリーの中から快く資料写真を提供してくださった札幌テレビ放送と札幌映像プロダクションに対しても、心からお礼を申し上げます。
又、旧ソ連太平洋艦隊での貴重な調査・報告資料は、遺族会の会長だった故永谷保彦さんの奥様、操さんから全面的にご協力・ご提供いただきました。本当にありがとうございました。
今回の出版にあたっては、㈱柏艪舎の山本光伸社長の言葉、「北海道命名一五〇年の歴史の中で、留萌沖三船殉難事件の尊い犠牲を忘れてはならない」―が、背中を押してくれました。執筆にあたって貴重なアドバイスをいただいたことも、合わせて心からお礼を申し上げます。又、本書の企画から出版に至るまで、編集者の山本哲平さんにも大変お世話になりました。ありがとうございました。
最後に、私の「泰東丸」の取材を陰で支えてくれ、十八年前五十一歳で逝った妻千穂にも、感謝を伝えたいと思います。
本書を留萌沖で亡くなられた千七百余名の皆様に追悼の心を込め、捧げます―。
平成三十年十一月
中尾則幸
版元から一言
第二次世界大戦終結直後、ソ連の潜水艦により留萌沖で撃沈された引揚げ船「泰東丸」他二船のことを、あなたはご存知ですか? 本書は、歴史に埋もれた悲劇に即して綴られた、後世に伝えなければならない作品です。
上記内容は本書刊行時のものです。