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近代日本のメディア議員
〈政治のメディア化〉の歴史社会学
- 初版年月日
- 2018年11月10日
- 書店発売日
- 2018年11月8日
- 登録日
- 2018年10月2日
- 最終更新日
- 2018年10月30日
書評掲載情報
2019-02-10 |
産經新聞
朝刊 評者: 清水唯一朗(慶應義塾大学教授) |
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紹介
政治の自立性を奪う、《メディアの論理》とは何か? 『衆議院議員名鑑』の記述をもとに、第1回~第39回衆議院議員総選挙で当選したメディア出身・関連議員(メディア議員)980余人を抽出しデータベース化。さまざまな観点からの数量的調査を通して、「政治の論理=価値や理念の実現」が「メディアの論理=社会的影響力の最大化」に取り込まれてゆき、世論迎合型(=劇場型)政治へといたる、そのルーツと変遷を検証する。10名の研究者によるポリフォニックな共同研究。 巻末には、984人分のメディア議員リストを収録。 *** 【本文「序章」より】 二・二六事件はジャーナリズム史で「冬の時代」の画期とされる出来事である。だが、その直後に業界紙に掲載された記事は「言論と文章によつて一世を指導しようとする政治家が簇出してきたこと」に祝意を表している。本当に言論界は「冬の時代」だったのだろうか。 〔中略〕 当時の首相は海軍大将・岡田啓介であり、もはや政党内閣の時代ではない。なぜ、そのような時代に言論人が大挙して政界進出していたのか。 さらに調べると、この疑問はますます深まった。「メディア関連議員」の議会進出がピークを迎えたのは翌1937年4月30日の第20回総選挙なのである。このとき衆議院で彼らが占める割合は空前絶後の34.1%に達していた。日中戦争が勃発する約2ヶ月前、国会は「言論と文章によつて一世を指導しようとする政治家」が三分の一以上の議席を占めていたことになる。 続いて戦時体制下の言論統制に筆を進めるなら、「それにもかかわらず」と文章を続けるのが普通だろう。議会は「メディア関連議員」が多数を占めていたにもかかわらず、戦争を止めることはできなかった、と。 本当にそうなのだろうか。むしろ、逆ではないのか。ここでは敢えて「それにもかかわらず」ではなく、「それゆえに」と考えてみたい。メディア関連議員が議会に多くいたために、戦争を止めることはできなかったのではないか、と。 結論から言えば、それは政治が「メディアの論理」で動いたためである。何らかの価値や理念の実現をめざす「政治の論理」とは異なって、読者数あるいは影響力の最大化をはかるのが「メディアの論理」である。メディアが「政治の論理」に従うなら「輿論public opinionの指導」を目標とするが、「メディアの論理」を全面展開するメディアは「世論popular sentimentsの反映」に驀進する。新聞人や出版人にせよ、放送人や映画人にせよ、彼らがこうした世論反映のプロフェッショナルである場合、はたして好戦的な世論の奔流に抗して平和の理念を保持できただろうか。
目次
【おもな目次】
序 章◇メディア政治家と「政治のメディア化」(佐藤卓己)
第一章◇メディアに関連する議員の一〇〇年――『衆議院議員名鑑』における数量的分析(河崎吉紀)
第二章◇メディア政治家の諸類型――「東の新聞県」長野県選出議員の分析から(井上義和)
第三章◇九州における地方紙の政治性――士族反乱の余波と「政論」の持続(福間良明)
第四章◇出版関連議員と政論メディアの変遷――雑誌の専門化と商業化(福井佑介)
第五章◇ポスト政論新聞・大阪系全国紙の迂回路――特ダネ主義と政治部記者(松尾理也)
第六章◇普通選挙体制下のメディア政治家――政党政治と「世論」政治(白戸健一郎)
第七章◇海外経験を持つメディア議員たち――東亜同文書院卒業者を中心として(本田毅彦)
第八章◇メディア議員の翼賛・迎合・抵抗――翼賛選挙と公職追放(赤上裕幸)
第九章◇自己メディア化する女性議員――その誕生と展開(石田あゆう)
あとがき(河崎吉紀)
<巻末資料>近代日本のメディア議員データ 抄録版
上記内容は本書刊行時のものです。