書店員向け情報 HELP
出版者情報
書店注文情報
在庫ステータス
取引情報
ハリエット・タブマン
「モーゼ」と呼ばれた黒人女性
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2019年3月15日
- 書店発売日
- 2019年3月15日
- 登録日
- 2018年12月28日
- 最終更新日
- 2019年3月11日
書評掲載情報
2019-04-20 |
朝日新聞
朝刊 評者: 西崎文子(東京大学教授・アメリカ政治外交史) |
MORE | |
LESS |
紹介
聖書のモーゼのように「地下鉄道」で多くの仲間の奴隷たちを脱出させ、アメリカで伝説的存在となっているタブマン。差別や苦難に挑んだその生涯を文献や現地取材でたどり、現在にもつながるアメリカ史の重要なひとこまを描いた、日本初の本格評伝。
目次
ハリエット・タブマン 目次
プロローグ
主な登場人物
第一章 生誕から逃亡まで(一八二二―一八四九年)
1 出生の地、イースタンショア
2 乳幼児期のタブマン
3 野外労働でたくましく成長
4 売却の危機が迫る
5 タブマンの逃亡
6 家族の分断こそ奴隷制の最悪の罪悪
第二章 地下鉄道運動の担い手となる(一八五〇―一八六一年)
1 奴隷制をめぐる南北の攻防
2 タブマンの黒人奴隷救出作戦
3 北部でネットワークを構築
4 南北戦争開戦と地下鉄道運動の活動停止
第三章 南北戦争への従軍(一八六一―一八六五年)
1 戦場に向かったタブマン
2 カンビー川攻略作戦で奴隷を多数救出
3 南部の戦場で引き続き働く
第四章 解放された黒人たちの救済事業(一八六五―一九一三年)
1 北部の家族のもとへ
2 女性参政権運動とタブマン
3 タブマンはどのような人物だったのか
エピローグ
あとがき
略年表
主要参考文献
図版出典一覧
人名索引
事項索引
装幀―加藤光太郎
前書きなど
ハリエット・タブマン プロローグ
二〇一六年四月二〇日、当時のアメリカ合衆国財務長官ジェイコブ・J・ルーは、二〇二〇年の女性参政権獲得一〇〇周年を機会に二〇ドル紙幣の表面に黒人女性ハリエット・タブマンの肖像を掲載する方針を発表した。現在、表面に掲載されている第七代大統領アンドルー・ジャクソンの肖像は裏面に移されるとのことである。もしこの計画が実施されることになれば、アメリカの紙幣に女性、しかも黒人の肖像画が印刷されるのは史上初めてである。
このことについては、日本の新聞やテレビでも報道されたので覚えておられる方も多いかもしれないが、日本ではまだハリエット・タブマンのことは、ほとんど知られていないので、あまり関心を持たれなかったようである。
これとは対照的にアメリカでは、子どもたちは教室でタブマンのことを学び、タブマンのことを知らない人は珍しいといわれている。タブマンをテーマとした絵本や読み物、DVDなども数多く出回っている。ちなみにタブマンは、南部メリーランド州の奴隷制度の下から一人で北部に逃亡し、その後も故郷に何度も戻って多くの黒人奴隷を北部やカナダに逃す集団的支援運動(「地下鉄道」〔Underground Railroad〕運動と呼ばれていた)に取り組んだだけでなく、南北戦争中には南部に出かけて奴隷たち数百人を救出する作戦に従事し、さらに南北戦争後は、ニューヨーク州オーバンで主に黒人生活困難者のための共同ホームの運営などに尽力した黒人女性である。
しかし、一九六〇年代以前にはアメリカ国内でも、タブマンはあまり知られていなかった。一九五〇年代半ばに始まった公民権運動の指導者マーティン・ルーサー・キングが聴衆を鼓舞する演説のなかでタブマンの名前を挙げたという記録はない。
一九六〇年代に入り、黒人公民権運動が高揚し、黒人の歴史への関心が高まるにつれ、歴史教科書で黒人の経験がより多く取り上げられ、タブマンも登場するようになった。テレビ番組の「アメリカ史シリーズ」で初めてタブマンが取り上げられたのは一九六三年であり、一九六五年には、アン・マクガヴァンの『逃亡奴隷―ハリエット・タブマンの物語』が出版され、タブマンへの国民的関心の高まりを記す作品として注目された。
そして一九七八年には、タブマンの郵便切手が発行され、一九八六年には多くの国民にインパクトを与えたとされるテレビドラマ『モーゼと呼ばれた女性』が放映された。それまでの歴史教科書には、白人男性エリートばかりがもっぱら登場し、女性やマイノリティー集団を含む一般庶民があまり取り上げられなかったことが反省され、一九九四年、議会と大統領の要請を受けて、学界、宗教界、経済界など各界の約六〇〇〇人の専門家が参加して、よりバランスの取れた歴史教育を目ざす『アメリカ史教育の全国基準』が発表された。この『全国基準』では、ハリエット・タブマンが、各学齢レベルで合計六回も取り上げられた。
ところが、この『全国基準』が発表されると間髪を入れずに、全国人文科学基金会長リン・チェイニー(後のディック・チェイニー副大統領夫人)が批判を開始した。この『全国基準』は、「黒人や女性ばかりを重視し、これまでアメリカの歴史を担ってきた白人男性をないがしろにする」歴史教科書における「PC」(差別者狩り)の典型で、偏向しているというのである。彼女の批判をきっかけに、『全国基準』は保守派から一斉攻撃を受け、議会の承認を得られず、普及のための予算は認められなかった。
しかし、このような政治的圧力にもかかわらず、今では、アメリカの小学生は、ハリエット・タブマンについて学ぶことを通じて初めて黒人奴隷制について学ぶといわれるほどになっている。二〇〇八年に行われた「アメリカ史でもっとも有名な人物一〇人」の全国アンケート調査では、タブマンは、成人の間では第九位、高校生の間では第三位に入った。このころになると、もっとも黒人差別が厳しいとされてきたミシシッピ州やアラバマ州など深南部諸州を含む各地の公共スペースでタブマンの壁画や彫像が展示され、全国各地の道路名や小学校、暴力被害者救援センター、貧困者救援施設、ホームレス保護施設などに「ハリエット・タブマン」の名前が付けられるようになった。
タブマン没後一〇〇周年にあたる二〇一三年には、オバマ大統領やメリーランド州知事らによってハリエット・タブマン地下鉄道国立記念碑がメリーランド州ケンブリッジ近郊に設置され、二〇一四年にはそこにハリエット・タブマン地下鉄道全国歴史公園を開設することが連邦議会で決まった。こうして現在、全国のタブマンゆかりの地で記念碑や博物館が建設され、各地域の観光資源にもなっている。
今回の二〇ドル紙幣へのタブマンの肖像採用決定は、六〇万人もの人々を対象とした世論調査の結果を受けたものだった。当時の財務長官ルーは「ハリエット・タブマンは、地域・世代を問わず人々の心の琴線に触れる人物だから」彼女の肖像画を採用したと述べている。
この決定に対しては、のちの大統領ドナルド・トランプが二〇一六年の選挙期間中から「タブマン像を使うなら二ドル紙幣〔ほとんど使用されていない―筆者〕がいい」との批判を込めたジョークを飛ばしており、先行きは定かではない。現在(二〇一九年)までのところ、新しい二〇ドル紙幣の印刷・普及は当初の計画よりかなり遅れることになりそうだが、計画は撤回されていない。しかし、どちらにせよ、今やハリエット・タブマンが国民的ヒロインとしてアメリカ人に広く認められ、顕彰されていることは間違いない。
彼女は読み書きができなかったので、ほかの黒人指導者のように自らの経験について書くことはできず、話すしかなかったこともあって、その実像を知ることは近年まで非常に困難だった。しかもタブマンの活動の多くは、秘密裡に行われたため、タブマンに関する客観的史料は限られていた。一方、彼女の驚くべき業績のゆえ、その「超人性」が強調され、人々が好む神話が多く生み出されてきた。そのため一般向け偉人伝や子ども向けの物語は多く書かれたものの、専門的歴史家によるタブマン研究が出版されることは、二一世紀に入るまでほとんどなかった。
今世紀に入って、次々と出版されたタブマンの生涯に関する歴史研究書(本書巻末「主要参考文献」参照)を著した歴史家たちは、彼女が語ったこと、同時代の人々が彼女に関して語ったことばかりではなく、奴隷の売却をめぐる奴隷所有者同士の裁判記録、国勢調査記録など間接的な資料をも綿密に精査し、彼女の実像に迫ってきた。タブマンは、全国的な運動組織の指導者になったことはないが、一貫して、最底辺の恵まれない人々とともに、その生活の現場で活動し、同時代の多くの人々から尊敬と親しみの念をもって受け止められ、全国的な黒人解放運動の指導者たちからも高く評価されてきたたぐいまれな活動家だった。
本書は、国民的ヒロインとしてのタブマンの物語ではなく、ユーモアを備え誠実に生きた一人の黒人女性の生涯の記録である。「人間タブマン」の生涯から、われわれ自身の生き方を考える何かを読み取っていただければ幸いである。
なお、本書は、一般読者を対象にした読みやすい書物になることを目指したため、出典をその都度提示することはしなかった。さらに勉強したい読者のために、本書執筆にあたって私が参考にした主な文献を、本書末尾に手短な解説をつけてテーマ別に列挙しておいたので参考にしていただけたらと思う。
版元から一言
*「わたしには二つの選択しかなかった。自由か死か」(タブマン)
*米ドル紙幣に肖像採用が決定するもトランプ大統領が反対、議論が注目されます
上記内容は本書刊行時のものです。