人文書・学術書をつくる第一歩
以前、人文系の博士論文の書籍化に関連して短いエッセーを2本書きました(「博士論文を本にする」、「博士論文を出版するための情報共有って必要でしょうか?」)。そのときに書きながら思っていたのは、博士論文でもそれ以外でも、研究成果の書籍化の際に、出版社が研究者と共有しておきたい事柄があり、それを事前に知っておいてもらったほうが(少なくとも私は)話がスムースに進むんだよな、ということでした。
特に若いキャリアの研究者の方々とお話ししていて、出版の方法・プロセスをあまり知らない方もいて、研究者間で情報を共有できていない場合もあるんだなと思うことがあります。それはべつにその人の責任ではなく、もしかしたら、出版社が情報を公開することに積極的ではない――著者となる研究者に話せばいいのでそもそも必要性がない/そういった点をあまり意識していない/企業秘密もあるから外部にあまり言えない――からかもしれません。
また、出版や編集に関する方針は出版社ごとに違いますし、編集という言葉は一つでも、出版社ごとにその内実(編集者の役回り、原稿への関わり方、校正の仕方など)は異なります。編集実務のプロセスや商品化=パッケージング方法も様々です。ですので、出版社とともに書籍を作る経験を一般化しにくく、研究者間で情報を共有しづらいという事情もあるのかもしれません。
そこで、人文系研究者の方々と書籍化の情報を共有するという視点から、人文書・学術書の企画編集をする際に、私はどういった点を考慮しているか、整理してみることにしました。以下で整理の際にあげている視点は、本稿の最後に紹介している文献などを参照しています。それらをふまえながら、私が日常的に人文書・学術書の編集の際に気をつけていることを、自身の実体験に即して少し書き出してみます。あわてて付け加えれば、当然のことながら本稿の内容は一編集者の考えにすぎません。一つのケースとしてお読みください。
企画のカタチ――人文書・学術書の企画編集[1]
人文書・学術書の編集を、私は次のようなイメージで捉えています。「アカデミズムの成果を商品に変換すること」「研究にアカデミックな文脈とは別の価値を/も与え、社会的・歴史的に評価可能なモノしていくこと」。人文系の博士論文や投稿論文もインターネットで公開され誰でも読める場合が増えてきたので、「社会的・歴史的に評価可能」という部分は書籍に特有の性格ではありません。ですが、編集の際には、「研究に別の価値を/も与えること」と「研究を商品・モノにしていくこと」を常に忘れないようにしています。
とはいえ、上記はあくまで大きな話で、前提のようなものです。もう少し日常の仕事に即していうと、大きくは企画編集と編集実務に分けて考えられます。
後者の編集実務は、完成稿のデータをどう整理して、ゲラにして、印刷可能な状態にしていくかを想定しています。これを書き始めると長くなるので、本稿では前者の人文書・学術書の企画編集に絞って――さらには企画の最初の段階で考えることに絞って整理します。
まず、カタチ(形式)から入ったほうが捉えやすいので、人文書・学術書の種類を以下にあげます。種類の区別は、橋元博樹「学術書市場の変化と電子書籍」や橘宗吾『学術書の編集者』を参照しています。
種類
(1)研究書・専門書(単著 or 共著)
=大学の研究成果公開。読者は研究者が中心。
(2)入門書・教科書(単著 or 共著)
=主に学生・院の教育向け。その事象の概要を知りたい一般読者も対象。
(3)啓蒙書(単著 or 共著)
=研究成果を平明にして社会に還元。一般読者を対象。
翻訳書もありますが、同様に(1)から(3)それぞれに該当します。また、啓蒙書は新書や選書をイメージするとわかりやすいかもしれません。
次に企画が生まれるプロセスです。
プロセス
(a)編集者が先行(出版社がテーマから企画立案)
(b)研究が先行(出版社から依頼)
(c)研究が先行(研究者から持ち込み)
(d)議論から生成(研究室でのブレストから居酒屋談義まで多様)
人文書・学術書の編集者が日々の情報収集をもとにイチから立ち上げるのが(a)のイメージです。(b)(c)はすでにおこなわれている調査・研究がある前提で、どちらからアプローチするかに違いがあります。まとまった研究成果、例えば博士論文を書いた研究者に「学術書にしませんか?」と出版社から依頼することもありますし、研究者が出版社に「書籍化したいので相談に乗ってください」と連絡することもあります。(d)は「ふとした会話の拍子に企画が生まれる」タイプです。
そして、書籍というモノを考える際の要素も多くあります。
モノ
・読者層
・書名
・原稿枚数
・図版点数
・造本
・定価
・部数
・カバーデザイン
・本文レイアウト
・印税の有無
・出版助成の有無(使うかどうか、使うならどの助成を使うか)
この「種類×プロセス×モノ」の掛け合わせ方で、あるテーマをどのような書籍にするのか、書籍化するには何が必要かが見えてくると思っています。人文書・学術書の研究テーマはそれぞれ明確なので(単著でも共著でも研究内容はそれぞれユニークで一点突破型が多いので)、上にあげた3つのポイントのバランスをとりながら、パッケージング方法を考えるのが企画編集の最初の段階で大切だと感じています。
例えば、「(2)入門書・教科書」×「(c)研究が先行(研究者から持ち込み)」で、人文書を刊行する場合を考えます。研究者にある一定のイメージがある場合が多いので、打ち合わせでそれをさらに具体化します。読者を学生に絞り込むのか、やや広めに一般読者を想定するのか、書名はオーソドックスに「入門」とするのか、それともビジネス書風に「3時間でわかる」「教養としての」とするのか、原稿枚数はある程度ボリュームをもたせるのかどうか、図版は多めにしてビジュアルに?、カバーはシンプルにor動きをもたせて?……と「モノ」にするときの要素を詰めていくと、だいぶん具体化していく、というわけです。
「(a)編集者が先行」の場合も、やはり同じです。テーマを定めて「種類」と「モノ」を組み合わせていきます。まずは一人で考え、社内の意見を聞いて、実際に依頼して研究者とも意見交換をして企画を具体化していきます。種類である(1)研究書、(2)入門書、(3)啓蒙書は実際は区別しづらいのですが、話をできるだけモノに落とし込んで打ち合わせをするように心がけています。
問いの大切さ――人文書・学術書の企画編集[2]
カタチと同時に、企画の中身・内容のディスカッションがとても重要です。当社では、企画や草稿の段階から編集者の感想や提案を伝えて、研究者に必要に応じて内容に反映してもらう、ということをできるだけしています。
企画の内容とカタチは強く関連するので、カタチの3つのポイント――種類・プロセス・モノを意識しながら企画の方向性をすり合わせるのが大切です。感想や提案も、同様に3つのポイントを念頭に置いて伝えます。ここが企画編集のキモだと個人的には考えています。
実際は書き進めながら内容が変わることは、どんな書籍でもありうることです。そうなった場合も、3つのポイントをふまえて、場合によっては途中で方向性を変えていきます。「(2)入門書・教科書」×「(a)編集者先行」のように、書籍の性格や原稿枚数などの枠組みが明確な場合は除いて、企画内容はスタートしてみて相談しながら詰めていくことが多いです。
ともあれ、スタート自体はとても大切で、ここでボタンを掛け違うといい書籍に仕上がりにくいです。企画が編集者発信であれ研究者からの提案であれ、内容・カタチともに双方が納得して了解することが(当たり前ですが)必要です。
あと、スタート時点で私が大切にしているのが「問い」です。WhyでもHowでもいいのですが、書籍化に適した問いが立てられるか、問いがテーマを示せているか、を著者と話し合います。
問いを立てるプロセスは次のようなものです。研究者が日頃書く査読付き論文などの場合、先行研究などに自身の研究を位置づけて、分析などを通して、明らかになっていなかった事柄を補強したり、ある研究に別の視点を導入したりします。学問ごとに、さらに学問内の各分野ごとに共有している専門用語や研究の水準・動向・傾向があるので、「論文ではわざわざ詳細に書かなくてもいいこと」や「明示しなくても共有できている前提」がままあります。打ち合わせでは、そういった前提などをなるべく教えてもらうように努めます。そうすることで、当該ジャンルの研究者「以外」の読者に、何を説明して素材をどう見せれば著者が抱く前提を共有できるのか、そこからどう問いを立てるのかが具体化していくように感じています。
問いに、例えば社会問題や昨今の社会情勢を絡めて書くようお願いすることがありますが、それはあくまで「前フリ」です。前フリは、著者と読者の間で書籍のテーマを共有するためのイメージであり一事例ですので、問いと前フリは本質的には別物です。
問いがうまく立てられて、わかりやすく読者に示せれば、その企画の輪郭がはっきりします。並行してカタチとのバランスを調整すれば、適切なパッケージングができていくと思います。この「適切さ」は読者を第一に考えますが、同時に書店の棚・インデックスも考慮します。例えば、人文書の棚づくりは担当者の日々の仕事――なかでも情報収集や知識量、作業時間、「熱意」に特に依存しているという指摘があります。そういう現状は私なりに見聞きしますので、書店の担当者に頼りすぎず、テーマができるだけ明確に伝わるように、書店店頭のことも著者=研究者にイメージしてもらってパッケージングを考えます。
ちなみに、問いは執筆前に立てられればいちばんいいのですが、原稿をすべて書き終わってから「これだ!」と見えてくることもあります。そのあたりは、企画ごとに話し合っていくべきことかなと思っています。
書籍編集の内実は多様
人文書・学術書の企画編集の最初の段階で私が考えることを、ここまで整理しました。書きながら、「じゃああのパターンは?」「この場合は?」という疑問が次から次へと出てきますし、他社は、あるいは編集者ごとに事情が異なるだろうとも思います。
人文書・学術書の書籍編集に携わるようになって10年くらいたちました。当社はエッセーや評論も刊行しているので、幅広いジャンルを担当してきましたが、資料や作品に基づいて批評や分析をするタイプの書籍がメインなので、企画編集や編集実務の大枠が書籍ごとに大きく異なることはありません。
他方で、特にSNSなどで編集という仕事が可視化されてきたので、出版編集といっても幅広く、何を・どのようにすれば「書籍を編集した」と言えるのかは、扱う出版物やジャンルによって異なることを知る機会が増えました。
人文書・学術書の大部分は、小さな規模の出版社が刊行しています。そのなかでもさらに一人から数十人まで規模の違いがあり、自社で組版からカバーデザイン、校正までをすべてまかなう出版社もあれば、当社のように組版・カバーデザインはすべて外部に依頼する出版社もあります。その中間は、自社と外部でおこなう作業の割合がグラデーションになっているはずです。
また、原稿内容への関わり方、提案の仕方もバリエーションがあります。校正も同様で、事実関係の校閲に限定して中身にはふれない校正をする出版社もあるはずですし、文章表現や文と文のつながり、意味がとりやすいかどうかまで踏み込む校正をする出版社もあります。
こう考えていくと、「書籍の編集」という言葉で示される仕事の内実が様々であるとあらためて思い至ります。
ぜひ著者としての意見を
本稿では、人文書・学術書の企画編集をする際に、私はどういった点を考慮しているか、カタチと内容に分けて整理しました。また、出版社の考えや編集の仕方がそれぞれに多様であることを、あらためて確認しました。
以上をふまえて、人文系の研究者の方々には、研究を書籍化するときに例えばここでご紹介したことを少しでも参考にしていただけると、出版社との話し合いがスムースになると思います。編集者・出版社主導の企画も多くありますが、研究者の意向や研究内容を尊重して書籍化を考える人文書・学術書の編集者もたくさんいます。
また、人文書・学術書は、専門性が上がれば上がるほど社会の動向には大きく左右されず、テーマ・内容を適切に見せられるようパッケージングする必要があると思います。ですので、その分野の専門家として、出版社に「お任せ」ではなく、自身の考えや要望を率直に話してもらったほうが話が進めやすいと私は思っています。一つの事例にすぎませんが、書籍化の方針を定める際のアイデアとして本稿を活用してもらえたらうれしいです。
参考文献
鈴木哲也/高瀬桃子『学術書を書く』京都大学学術出版会、2015年
芝健太郎「人文書の現在、書店の未来」「大学出版」第85号、大学出版部協会、2011年
橘宗吾『学術書の編集者』慶應義塾大学出版会、2016年
野上由人「人文書販売の現状とこれからの方策案」「人文会ニュース」第118号、人文会、2014年
橋元博樹「学術書市場の変化と電子書籍」「情報の科学と技術」第65巻第6号、情報科学技術協会、2015年