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売人の愉しみ ——神保町ブックフェスティバル初参加の記

共和国のシモヒラオ氏は頭を抱えていた。ここでいう共和国とは一般名詞ではなく、2014年4月にこの元編集者がなけなしの100万円を投じて起業した極零細出版社のことだ。法人化してあるので正しくは株式会社共和国であるその出版社は、ほかに社員めいた存在もないようなので、かれが代表取締役兼奴隷ということになる。この4年足らずのあいだにもそもそと少部数の新刊を30点足らず刊行し、売れ行きこそタイトルによって波があるものの、なんとか法人を維持できているらしい。

 といってとくにベストセラーを生み出したわけでもなく、知名度にいたっては業界でも弩がつくマイナークラスが指定席なので、これはもう本人は言うにおよばず著者訳者やデザイナー、印刷所や流通関係者をも巻き込んだ「公害」とか「社会悪」とか、そんな類の存在に近いのではないだろうか。生まれてすみません。
 そのシモヒラオ氏が、そうでなくても浮かない顔をいっそう歪ませているのはなぜか? スタイルノート代表の池田茂樹さんから、過日われわれが参加した「神保町ブックフェスティバル」について「版元日誌」に書きませんか、と定言的な指令がやってきたからである。昨年までは高円寺で開催されていた「本とアートの産直市」にはじまるこの実行委員会の末席に名を連ねさせてもらっているとはいえ、今年も会議は欠席がちで、重要な取り決めのほとんどは池田さんはじめ中心メンバーの諸姉兄にオンブにダッコだった身である。いったい何を書くことがあろうか……。悩ましいままインフルエンザに罹患してしまい、この締め切りも2週間以上遅れてしまった。かえすがえす生まれてすみません。
  

 
「第27回神保町ブックフェスティバル」は、2017年11月3日(休)、4日(土)、5日(日)の3日間にわたって開催された。おもに出版社が出展してヤレ本やB本などを中心に販売する「本の得々市」には、過去最高だという142社、188台のワゴンがならび、その売上は7300万円、来場者15万人にものぼる「大盛況」だったそうだ(『全国書店新聞』Web版2017年11月15日号)。これはおそらく過去最高の数字なのではないか。
今年は「東京国際ブックフェア」が中止になったのでその企画の一部が「神保町」に流れたそうだし、初の3日間連続開催で3日間ともが天候に恵まれたこともあって、たしかにたいへんなにぎわいだった。東京都千代田区神田神保町という一地方の一地域に(新刊古書を問わず)、本好き、本に関心のあるお客さんがこんなに集まるというのは、内側から見ていてもなかなか壮観だった。最終日の5日には、某国のクソ大統領がわざわざ日本国のゴミ首相とゴルフをするために来日してしまったので、近隣のコインロッカーがすべて封鎖されるという甚大な迷惑を被ったけれども、そういう迷惑なやつらの存在以外は大過なく終了してヨカッタヨカッタ。

 
過去数年にわたって、高円寺を中心に「本とアートの産直市」を開催してきたわたしたちも、今年は「神保町」に乗り換え、「版元ドットコム」の名義で出展することになった。1つのワゴンを2分の1や4分の1に分割して数社で共有したのだけれども、その出展社は以下の通りである。
トランスビュー/スタイルノート、ころから/新曜社/ポット出版、第三書館(2ブース)、サンライズ出版/共和国、堀之内出版/太郎次郎社エディタス/タバブックス、えにし書房/まむかいブックスギャラリー/游学社。それにチャリティおよび500円均一用ワゴン1台の計8ブース、14社。
ほんとうに「大盛況」だったかどうか関心がある向きは、各版元の担当者をつかまえて直接聞いてみてください。非常にざっくりお伝えしておくと、さすがに高円寺フェスにくらべると圧倒的な来場者数なので、社によって程度の差はあれ、それなりに売上が立ったようだ。なにせ来場者15万人である。そのすべてがわれわれのブースに立ち寄ったわけではないにせよ、そして7300万円の何百分の一だか何千分の一だか知らないが、来場者の数と売上は確実に比例する。した。したのだった。

 

 
今年は参加できるものなら「神保町」に参加しよう、いや、名古屋とか静岡あたりでもできそうだし、都内だと東中野や赤羽はどうだろう……というような話は、すでに昨年の「高円寺フェス」の反省会の席上、話題になっていた。高円寺フェスそのものは地域に根ざしたアットホームなお祭りで共感するところも大きいし、会場や地元の市民グループにもお世話になってきたのだけれども、正直なところ、そこに集まる「ゆるキャラ」「ふわキャラ」めあてのお客さんをそのまま「本とアートの産直市」へと誘導する流れを作ることは困難だった。高円寺駅前や会場近くの公園にチラシを撒きにいったり、トークイベントを企画したり……と手作りフェスを自分たちの手で成功させる楽しさはあったものの、集客の難しさがそのまま売上の低迷につながっていたことは否めない(それが中心メンバーの負担にもなってしまう)。「産直」するといっても、お客さん不在では本を売る相手がいないのである。やはり少しでも売上を立てることを優先しないとなあ。これまで「神保町」に参加していた同業他社の話だと、やはり高円寺と比べても圧倒的にお客さんが多いので、段ボールで運び込んだ本がばんばん売れるらしい……であれば、今年はもし可能であれば、神保町に参加しようじゃないか、ということになったのだった(もっとも、わたしがこの実行委員会に加えていただくずいぶん以前からそういう機会はうかがっていたそうだけれども)。
 
なにせほとんどの版元が初参加である。どの程度の来場者が見込まれるのか、売値はいくらにすればいいのか、現地に何部くらい搬入すればいいのか、商品の補充はどうする、そもそも噂に聞くほど売れるのか……など、わからないことだらけである。まして天気がどうなるかなんて誰にも予想できない。雨天の際の撤収の道筋も考えておく必要はあるだろう。そもそもワゴン8台とはいえ、けっこうな量の段ボール箱が動くだろうから、それらをどう移動させればいいのかもよくわかっていないではないか。さあ、どうする?
しかし、この産直市の実行委員会のメンバーは、さすが出版社を自分で起業して長年にわたって維持してきた面々である。このかん産直市を牽引してきたころからの木瀬貴吉さん、スタイルノートの池田さん、それにトランスビューの工藤秀之さんはじめ、かれらはこういったよくわかんない事態が現出しても、どこを押せばなにが動くかをよく知悉しているので、話も早くて簡潔である。みなさん忙しいなか、手際よくスケジュールと段取りが決まっていった(わたしはその後について匍匐前進する程度だった)。
それに今回、新曜社営業部の中山修一さんの尽力で、神田神保町2丁目にある同社の倉庫を借りることができたのは大きかった。これによって商品を神保町に持ち込んでから撤収するまでの移動ルートがぐっと可視化することになった。新曜社さんはフェス当日も倉庫を使えるように配慮してくださったほか、備品の台車を全面的に貸してくださったり、打ち上げの店まで手配してくださったり、もう足を向けて眠れないほどご助力いただいた。この場をお借りして、アルバイトなどで有形無形にお手伝いくださったみなさんも含めて、勝手に実行委員会一同を代表して、感謝の気持ちを述べておく次第である。
 
さて、とはいえ、小社は社内のどこを見渡しても本当にわたしひとりしか存在しない、いわゆる「独り出版社」である。アルバイトでもパートでもいいのでほかに一人でも労働者がいれば店番くらいはお願いできるだろうが、こちとらすべて独りで動かさなければならない。すでにこの秋の週末は鎌倉、金沢から名古屋までほとんど毎週のように出張の予定が入り、金曜日は非常勤講師のアルバイトが3コマに増えていた。その前夜の木曜には予習や下準備にも時間をかけねばならず、すでに息もたえだえである(新刊の編集を手がける余裕すらなく、ついに 2017年は8月以降1冊の新刊も出せないまま年が暮れそうだ)。
くわえておなじワゴンを共有することになったのは、滋賀県彦根市のサンライズ出版である。聞けばご担当の竹内信博さんが独りで上京するとのことなので、2社あわせても2名だ。ほかに交代要員がいないよな……。となると期間中の3日間はほとんどフルで現場に張り付かねばならないのだろうが、初日の3日は駒込で開催される「しのばずくんの本の縁日」にも声をかけていただいている。2日目4日には小社の著者の講演が水道橋であり、そちらにも顔を出しておきたい。が、いくらなんでも同時に2カ所に自分の身を置くことは物理的身体的に無理な相談だ。遠来のサンライズ出版さんにすべてお願いするわけにもいかないし、まさか直系の近江商人の面前で売上その他の管理をおろそかにもできないだろう。体調はもはやバテバテだ。さて、どうする?——このときほど「独り出版社」の「限界」を感じたこともなかった(すべて終えることができたいまとなってはそんな大袈裟な、と笑うこともできるが、このときの心中はけっしておだやかではなかった)。


 
まあしかしいつまでもクヨクヨ悩んでいても仕方がない、と開き直ることにした。不義理がゆるされる部分は関係各位に甘えるしかないのである(ほんとに生まれてすみません)。人員不足については、「しのばずくんの本の縁日」とバッティングしている3日の午前中だけは他社の労働者である法律上の妻に身代わりになってもらう。わたしは午後から3時間だけ駒込に移動してそちらが終了次第、神保町に戻ってくることにした。4日の講演も、そのあいだだけはサンライズ出版の竹内さんにお願いして抜けさせてもらうしかない(竹内さんのご好意にあらためて感謝いたします)。
あと、金銭管理をどうするか。竹内さんがランチその他で不在になった場合は、あたりまえだがわたしがお客さんから本の代金を領収して、売上を管理しなければならない。しかしこう言ってはなんだが、こちとら数字には滅法弱い。かんたんな物販の計算ですら平気で間違えて法外なお釣りをお客さんに進呈してしまう自信だってある。ましてや近江商人を前にして恥ずかしいことはできない……となると、せめて自社分だけでもできるだけ計算をわかりやすくするしかないので、当初予定していた「全品50パーセント」作戦を変更して、全点「1000円均一」にした。これならほとんど計算不要で手間がない。税込定価1944円の本もあれば3996円の本もあったのだが、均せば2500円前後に落ち着くので、原価割れになることはなかろう。
また、新刊書店や古書店ともおなじ場で物販することになる「しのばずくんの本の縁日」では、定価(あるいは本体価格)での販売を原則としていたこともあり、いくらヤレ本とはいえ神保町と駒込の近距離で一物二価になる混乱は避けなければならない。ので、あちらとこちらで並べる商品の重複を避けることにした。「しのばずくん」では、藤原辰史『[決定版]ナチスのキッチン』、『食べること考えること』、都甲幸治『狂喜の読み屋』、タルディの戦記コミック『塹壕の戦争』、『汚れた戦争』、それにくぼたのぞみ『鏡のなかのボードレール』にはじまるシリーズ[境界の文学]既刊4点など、本体価格でもじゅうぶん勝負できるタイトルを中心に並べる。いっぽうの神保町では、池田浩士+髙谷光雄『戦争に負けないための二〇章』、羅永生『誰も知らない香港現代思想史』、ジェイムズ・A・ミッチェル『革命のジョン・レノン』、山家悠平『[新装版]遊廓のストライキ』など、もともと外装なしのデザインのために改装=再出荷が難しい7点に絞り込んで1000円均一で売ることにしたのである。7点ならワゴン2分の1のスペースでもすべて面陳できるだろうし、それ以外のタイトルも、「冊数限定」を謳うなどしてちらちら並べれば売れるのではないか、と見込んだのだった。
実際、初日の「しのばずくん」で売れ残ったタイトルを、2日目以降に「タイムサービス2000円」と銘打ってツイッターで宣伝したら、綺麗にそれらの本から売れていった。定価3000円を超える本はむしろ少なかったので、2000円で売れれば御の字である。むろんこちらとしては、1000円均一の商品だって鼻血もんの大サービスである。いずれも類書のないテクストなので、関心のあるかたにはかなりお買い得だったのではないだろうか。
 
ところで、いよいよ開催日が近づいてきたある日、「神保町」に長く出展している某版元の友人である某氏に、じっさいのところどの程度売れるものなのか、ダイレクトに聞いてみた。すぐに具体的な数字を挙げた返事がきたのだけれど、2日間で云十万とか100万とか、とにかく派手な数字が並んでいるではないか。うへー。「共和国ならけっこう売れるんちゃうんすか」とのことであったが、いやいやまさか……。良質な人文書をリリースし続けて定評のあるこの某社とくらべるまでもなく、こちらはほんの数年前に創業したばかり、ぽっと出のチンピラ出版社である。そもそもいくら大量の来場者が見込まれても知名度がまったくないので、そんなに売れるわけがない……そう否定しつつも、内心「もしや」という欲目を抑えきれないわたしは、いつまでたっても垢抜けしない俗物である。大は小を兼ねるというではないか。多いに越したことはないだろうと、返品からスリップを抜いてはせっせとペンを走らせ(スリップで売上を管理することになっていた)、420冊ほどを「神保町」用に段ボール6箱につめこみ、現場基地の新曜社倉庫に運び込んだ。……結果的に売れたのはその3分の1強で、それを小社に返送するにあたっては、またまた中山さんや工藤さんにご面倒をおかけしてしまうのだが、そのときはもう文字通りの「あとの祭り」であった。
 

 
開催期間中の3日間は、こちらの杞憂をよそに順調に進行したのではないだろうか。ただ、版元ドットコムの8ブースは比較的「神保町」駅7番出口に近く、東京堂書店の前を東西に走る「すずらん通り」を、「キッチン南海」あるいは(2017年12月いっぱいで閉店なのが残念な)「おにぎりの小林」の正面から南へ入った路地に並んでいた。各日撤収後に荷を一時保管してもらう中央経済社には至近で至便だったが、大手中堅が特価本をならべるメインストリートであれこれ目移りしているお客さんからすれば、つい見過ごしかねない立地ではあった。元演劇部だという(だっけ?)堀之内出版の小林えみさんがしばしばこの路地口に立って呼び込みの声を挙げてくれたのだが、もし来年もこの場所に出店することになるのであれば、誘導のくふうが必要だろう。
それでもたしか3日目だったか、潮目が変わった(というのだろうか)。ころからの木瀬さんが路地口に立ち、本拠地・赤羽の呼び込みのあんちゃんよろしく、「ひとり出版社のブースはこちらです〜」とやりだすと、こちらの路地に流れてくるお客さんの数が目に見えて増えた。なんと、「ひとり出版社」がキラーワードだったのか。じっさいわれわれのブースににょっきと顔を出した年配のご夫妻は、「ひとり出版社ってなに? ほんとにひとりでやってるの? へー、じゃあ3冊買っていこう」と支援してくれた。そういう意味では、次回以降もこの路地を占拠して、「ひとり出版社が集まる版元ドットコムのブース」的なイメージで持続していけば、この場所で一定のお客を呼び込むことができるのかもしれない。


 
あと、まったくうれしかったのは、共和国の屋号をめざして来場してくださったお客さんが少なからずいたことである。2日目に偶然通りかかって、また3日目も立ち寄ってお友だちまでご紹介くださったオバサマをはじめ、わざわざ挨拶に来てくださった方も十指にあまる(不在でお目にかかれなかったみなさん、ごめんなさい)。
それだけではない。まったく見知らぬはじめてのお客さんであっても、こちらから積極的に声をかけて説明すれば、ちゃんと手に取ってくれるし、場合によっては買ってくれるかただって少なくなかった。これについては、この秋の「かまくらブックフェスタ」から丸善名古屋本店での「ほん×ろじ」、そして「しのばずくんの本の縁日」にいたる実践のなかで確信めいた実感をともなっていた。そうでなくても小社の本は、『ラングザマー』とか『戦争に負けないための二〇章』とか、一見したところなんの本だかわからないものが少なくない。そういった本でも、「これは多和田葉子さんが解説を書いてくれてるんですが、本を読むということの魅力を言葉にするとこうなるんだ、という魅力にあふれた本ですよ」とか、ちょっとプレゼンするだけで、お客さんにもその意味するところが伝染するのである。これぞまさに産直市の愉しみではないか。独立するまではもっぱら編集畑だったのでこうした物販に参加すること自体少なかったし、むしろ苦手意識しかなかった。独立後もこれまでなんどか産直市には参加してきたのに、いまごろになってその愉しさ、ヨロコビが実感できたのである。そういうわたしのドンカンをひとまず措くと、齢50を目前にしてまだ自分にノビシロを感じたというか、じっさいの売上以上に充実と手応えを感じたのだった。
そのことは、おなじブースのサンライズ出版が着実に売上を伸ばしていたことからも理解できるのではないか。並んでいるほとんどすべてが滋賀県をテーマにした本であるのにもかかわらず、竹内さんがプレゼンすることで、来場者のなかの滋賀県出身者や研究者のココロに着火し、あるいは滋賀県には直接関係はないかもしれないけれども興味はあるような来場者にも、その声はしっかり届くことになったのである。


 

 
たいして何もしていないくせに、すべてのプログラムが終了してほっとしたのか、先々週はいい齢をしてインフルエンザにかかるわ、予定されていた反省会と打ち上げにも参加できないわ……というていたらくである。なのでこの場をお借りして反省点を挙げておきたい。
まず、これは高円寺で開催していた「本とアートの産直市」からの課題でもあるのだけれども、実行委員のなかでもとりわけ中心となる数人に過重な負担がかかってしまった。どんな運動や活動でも「顔」となる個人の存在があって成立する部分はどうしても発生するので、一定程度はこれはもう致し方がないとは思う。とはいえ、今回出展したどの版元も「独り」ではないかもしれないが、せいぜい「数人」である。どこも時間や体力的に厳しいなか、一部のメンバーに負担がかかりすぎるのは、なんとも心苦しい。この点についてはもし来年度も出展するのであれば、忌憚なく話しあって解決しなければならない問題の第一だろう(自戒を込めて)。
と同時に、小社のような「独り」しかスタッフが存在しない版元は、3日間ずっと現場に張りつく必要があるとなるとなかなか厳しい。これでもいちおう社会的存在なので、今回のように別のブックフェアとバッティングすることは例外としても、3日間にわたって他の業務が停止してしまうという事態は(小さい会社になればなるほど)避けたい気持ちがある。今回も遊軍的なメンバーが考慮されてはいたのだが、実際にはなかなか他のブースのお手伝いということにはなっていなかったようだ(これは当方の主観)。じゃあ来年は参加しなければいいか、というとそういう問題でもないので、つぎの実行委員会の議題にのぼってくるまでのあいだ、もう少し考えてみたい。

さらに一般的な問題として、ヤレ本やB本を販売するという再販の問題もあるし、近年にわかに問題視されているセドリ師の存在をどう考えるか、ということもある(ひとむかし前まで、「セドリ」なんていう単語は、梶山季之の小説で知られるようになるまでは古書業界のごくマイナーな用語だったはずだが、ネット時代になってこんなにクロースアップされるのを可笑しく思う)。もちろん、「安売り」することで自社のブランド力の低下を懸念する版元もあるだろう。
もう結構な紙数になってしまったので個人的な考えを略述しておくと、トランスビューに流通代行をお願いしている小社は、取次との口座を開いていないので、そもそも再販契約が存在しない。混乱を避けるために便宜上は「定価」表記をしているけれども、道義的な問題をひとまず考えないとすれば、この点ではとくに問題は発生しないことになる。また、小社の本はなによりも書店で定価販売され、売れてほしい。いうまでもなくそれが考え方の根底にある。ただ、デザインやコストなどさまざまな要因で「帯やカバーなどの外装なし」というタイトルも少なくない。そのうえ原則断裁にはしないことを社是にしているので、汚れて返品された本は実際問題として行き場がなくなってしまう。そのことを考えると、1000円でも売れるに越したことはないので、「神保町」のような販売機会は小社にとって非常にありがたい、ということになる。
むろんセドリによってネット書店を中心に古書価が新刊定価より急落する、という弊害はある。今回も何人かのそういう稼業のかたがいちどきに同じ本を何冊も買っていったし、小社の一部の本に存在する「初版のみ特装本」の在庫を聞いてきたお客さんもいた。しかし、これについても小社ではまだまだ容認可能な範囲内だと考えている。なにせ創業してからまだ4年足らずで、点数も30点未満である。社会的な認知度でいえばまったく無名なのだ。過剰供給を心配するよりも、作った本がもっと行き渡る機会が増えてほしい。そういう機会はできるだけ活用したいではないか。「50%オフ」「1000円均一」のようなビジネスが東京の神保町という一極地でだけ成立してしまうことには、わたしも違和感はある。しかし、そもそも「50%オフ」や「1000円均一」で売ることが定められているわけではまったくない。定価で売れるのであれば、定価で売ればいいし、10%引きでも20%引きでも、あるいは売れるのであればプレミア付きでもいいのではないか(古書の黒っぽい本のように)。そう考えると、いまのわたしには、売値云々よりも少しでも多くの読者に届いてほしい、という願いのほうが強固なのだった。
 
現在ではほとんど死語だが、かつては「手沢本」という素敵な言葉が存在した。小口も黒っぽくなったような手に馴染むほど愛された本、という意味である。せんだっても文藝春秋の社長が「図書館での文庫本の貸し出しをやめてほしい」と訴えて物議を醸したが、書店で定価で買われても、図書館で無料で貸し出されても、古書で安かったり高かったりで入手されても、読者にとっては一冊の本である。一零細出版社の代表(兼奴隷)としては、自社で出した本は、どんな形でもいいのでボロボロになるまで、何度でも手にとって読まれてほしい。できれば読者の身体の一部になるまで読みこまれてほしいのである。そしてもし出版社の「ブランド力」なるものがあるとすれば、それはそのボロボロになった本に付随して磨かれてゆくものではないだろうか。
 
無料の原稿ほど長く書いてしまう悪癖があり、このへんでモニタの前から離脱したい。以上は今回初参加した共和国という出版社がみたきわめて主観的な「神保町」の感想だし、産直市実行委員会が今後どうなるか、あるいは来年度以降もこの「神保町ブックフェスティバル」が存続するのかどうかは、いまのところ存じ上げない。ただ、もし参加の機会があり、迷っている版元がいらっしゃれば、いちど参加してみてはどうだろうか。どうしても高額になりがちな人文書、あるいは雑誌やムックのようにヤレが出やすい本なんかは、断裁するなら安く売ってほしいなー(わたしが買います)。なんにせよ、選択肢は多いほうが実りも増えるはず。たぶん。
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写真提供:©篠原佐代子、©高野大輔

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